• 現代ドラマ

未来への手紙 : 大切な人へ伝えたい

 昭和時代の町並みは、戦後の混乱の傷跡を抱えながらも、静かな活気に満ちていました。瓦屋根の家々や石畳の道、木造建築やカラフルなパターンで特徴づけられたレトロなデザインの建物が多様に共存していました。古い瓦屋根の家々が連なる路地裏や石畳の小道では、子供たちの楽しげな笑い声が響き渡り、日常生活に温かさを添えていました。そのすべてが心の中で色褪せることなく輝いています。昭和時代の町並みは、時代の息吹を感じさせる貴重な遺産であり、その風情は歴史の尊さを思い起こさせます。

そんな町並みが失われてしまったのは、戦後の急速な経済成長や都市化に伴う近代化の進展です。戦後の復興期には、都市部の再建やインフラ整備が急務とされ、伝統的な町並みや建物が取り壊されて近代的な建築物や施設が建設されることが多かったため、昭和時代の風景が次第に失われていきました。

高度経済成長期には、都市部の人口が急速に増加し、住宅や商業施設の需要が高まったことも昭和時代の町並みが失われる理由の一つです。この時期には、大規模な土地開発や再開発が進み、昭和時代の建物や景観が取って代わられることが多くなりました。都市機能や交通インフラの整備が進み、都市部の再開発や近代化が推進されたことも昭和時代の町並みが失われた背景となっています。


 昭和26年生まれの私は、父から目配り気配りを口うるさく言われて育ちました。「たばこを持ってこい」と言われれば、灰皿とマッチも一緒に持っていくことを忘れませんでした。タバコと言われたからといって、タバコだけを持っていったらげんこつが飛んできます。1つ言われたら3つや4つを考えて行動しなければなりませんでした。


 こんなこともありました。部下3人と車でとんかつを食べに行ったときのことです。驚くことに、後部座席に我先にと座ったのが新入社員でした。とんかつ屋に入り、一人の部下が水を取りに行きましたが、4人分の水ではなく、自分だけの水を持ってきて飲んでいるのです。食事が終わり、会計しましたが、ごちそうになるのが当然だという態度で、「おいしかったですね」とだけ言って、「ごちそうさまでした」という言葉もないまま後部座席に座りました。運転しているのは彼の先輩です。世間知らずというか、これでは彼が将来先輩になって指導する立場になったときのことを考えて注意しましたが、彼にはその意味がわからないようでした。



これが昭和時代と平成時代の違いの一つでもあるのだろうかと思ったこともありましたが、このような個々の経験や態度は、昭和の時代生まれにも、平成時代生にも当てはまるわけではなく、個々の人格や背景によって異なるものでしょうから一般化することはできません。それぞれの人にはそれぞれの背景や価値観があるのですから。

未来への手紙 : 大切な人へ伝えたい
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