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  • 現代ファンタジー

縁起の良い日に

あと1曲聴き終わったら。
このドラマを最後まで見終わったら。
次に良いタイミングでやる気が起こったら。
社会人とやらになって以降、ずっとそんなことを繰り返して生きて来た。
学生の頃、私はわけもなく焦っていた。
歌手、俳優、作家など、同年代の人が華やかな肩書きと共に世に出る姿を見るにつけ、メディアに取り上げられる彼らを瞬きもせず食い入るように見つめていた。
それ以来活躍する人や今注目の人を見かけると、人となりよりまず年齢が気になった。
自分と同い年や同年代であることが分かるととても悔しかった。
悔しがっている自分は特段何も行動していないのに歯嚙みしていた。
そんな頃、私は若者向けに書かれた職業案内の本を手に取る機会があった。
目次に「作家」を見つけ、ページを繰って読んでみた。そこには
「焦って早く就く職業ではない。社会で経験を積んで40歳くらいになってその時まだなりたいと思っていたらなるのも良い」というようなことが書いてあった。
40歳。その頃の私には遙か未来の年齢だった。
その時健康に生きているか、家族もみんな変わらず元気なのかも想像がつかなかった。
年齢に強いこだわりを持っていた当時の私は同時に拍子抜けした。
そんな年齢になって始めても良いのか、と。
私は当時受験を控え、どうしても進路を掴みとらなければならなかった。
受験と創作。同時にやりたいけれど2つのことをうまく両立できず苦しんでいた。
どちらもやりたいのにどちらかしかできない。そんな自分がもどかしかった。
自分の未熟さをむず痒く思っていた私にとって、その言葉は光明のように思えた。
そうか、焦らなくて良い。私にはまだ時間があるんだ。
私は心底ほっとした。あれほど焦っていたのにその文章ひとつで落ち着きを取り戻すほどに私は単純だった。素直だったと言えなくもない。
進路を決め、社会に出てからも作家になりたい思いはくすぶっていた。
仕事に追われ何も書けないくせに思いだけはずっと抱えていた。
誰もが夢を叶えられるわけじゃない。そんな常套句を私は信じなかった。
私が拠り所にしたのは、学生の頃読んだ文章の「40歳」というあの数字だった。
まだまだ40歳には程遠い。それまでにどこかで書けるようになる。
今の仕事が落ち着いたら。
このひと山を超えたら。
仕事が今よりも暇になったら。
そしたら情熱が勝手に沸いてきて書けるようになるんだ。きっとそうだ。
私はまた安心しきって作家とは無縁の仕事に打ち込んだ。

いま、私はまだ40歳になっていない。
それでも書き始める決意をした。予定より少し早く。
何か人生を変えるような大きなきっかけがあったわけではない。
強いて書くなら、安心しきっている今の状況に飽きかけている。
待っても待っても、書きたい情熱がちょうど良い時に沸いてこない。
たくさんの作品を読んでも読んでも、書く準備が完了しない。
そうこうしている間にリミットの40歳が近付いている。
私は今また焦り始めた。学生の頃のあのむず痒い気持ちが蘇る。
もしかしたら情熱は、書き始めたら沸くのかもしれない。
大したきっかけがなくても、その日思いついたから始まる大仕事だってあるはずだ。
というわけで、ドラマチックでも何でもない船出となった。
これからは年齢に安心せず、書くことで自分を少し安心させてあげよう。
今日は一粒万倍日だ。縁起の良い日に。

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