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「納豆の日」に「日本がどんな国になればいいか?」を考えてみた。

こんばんは、埴輪です!

本日7月10日は「納豆の日」ということで、納豆を食べました!
私はこれまで「体に良い」とされる食品を数々試してきましたが、自信を持ってオススメできる食品の一つが納豆です!

健康効果は色々ありますが、私が実感しているのは「肌」でしょうか……!
そして、納豆は「安い、うまい、手に入りやすい」と三拍子揃っているので、ライフパートナーとしてうってつけではないかと思います!

ちなみに、「国産」を選ぶのが私のこだわりです!(海外の遺伝子組み換え大豆の比べても、数十円しか違いませんしね……!)

でもって。

本日は「参議院議選挙」もありました!
私も投票しに行きましたが、これ以上の情報を記載すると色々とまずいことになりそうなので、書きません!

その代わりと言っては何ですが、自分なりに「日本がどんな国になればいいか?」ということを考えてみましたので、それを書きたいと思います!

私の理想は「頑張った人がちゃんと評価される国」というものです!
ただ、それと同時に実現すべきなのは「頑張らない人もそれなりに生きていける国」だと思っております!
なぜなら、今の日本は「頑張らないと生きていけない国」だからです!

ここで言う「頑張る」は「仕事」のことで、つまりは「仕事をしなくてもそれなりに生きていける国」が、日本の目指すべき道なのではないかと思うのです!

そもそも。

世の中は昔に比べて何かと便利に、快適になりました。
その根底にあるのは、人間の「楽をしたい」という欲求ではないかと思います。
ただ、そうやって獲得した楽……時間を何に費やしているかといえば、「もっと楽をしたい」というさらなる欲求の追求ではないでしょうか?

言い換えると「楽をするために頑張る」ということで、さらに言い換えれば「頑張らないと楽ができない」ということです。

……これって、やっぱり何かおかしいと思うのです。
実際のところ、もっと楽になるチャンスはあったはずです。

例えば、パソコン。
パソコンが普及したことで、今まで手動でやっていたことが比べものにならないぐらい楽になり、時間も節約できるようになりました。
ただ、その結果何が起こったかといえば……節約した時間を別の仕事に当てたり、人員を削減したりと、楽とはほど遠い動きです。

私が思うに、「本来は十年かける仕事を数年で」……ということを延々と繰り返した結果、今の世の中になったのではないかと思います。

近況ノートでも私が度々言及することに、「使える時間は変わらない」というものがあります。

一日24時間制を変えるのは大変に難しいので、何かに時間を使えば、その分他のことができなくなるのは必然です。
つまり、経済がどんどん発展してきた一方で、それ以外のことがどんどんおろそかになっていったわけです。

そして。

「生きていくためには仕事をしてお金を稼がなくてはならない」というのが大前提で、「それなりの生活をするには頑張らないといけない」のが今の日本です。

「働かなくても生きていけるなら誰も働かないよ!」と思われるかもしれませんが、もちろん「働かなくても今の生活が維持できる」なら、誰も働かないと思います。

「仕事をしなくてもそれなりに生きていける国」が指す「それなり」は、所謂一つの「健康で文化的な最低限度の生活」という奴です。

今の日本をベースにして、現実的に「仕事をしなくてもそれなりに生きていける国」を実現しようとすると、全ての国民が職を失っても生活保護によって生きていける体制を整える必要がありますが、そうなると生活保護の内容……「健康で文化的な最低限度の生活」……というものを、より厳密に、多くの国民が納得できるものにしなければなりません。

私の考えの根底にあるのは、今の世の中が余りにも「仕事中心」であることへの違和感です。

かつての私は働くことに対して何の疑問も持っていませんでしたが、失業により仕事をしない生活を送るようになったことで、初めて「仕事とは?」ということに思いを向けることができたように思います。

普段は「働くのは当たり前」というところからスタートしてしまう話を、「本当に働くのは当たり前なのか? なぜ当たり前になってしまったのか?」という点から考え直すと、色々世の中が違って見えてくるのではないかと思います!

……というわけで、明日からの一週間は「漫画原作小説コンテスト」の作品作りで缶詰になる予定なので、近況ノートでは今回取り上げたような話題について、つらつらと書き記していきたいと思います!(とても一回では書き切れないので……!)

では!

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