この世に真実があるならば、それは「とりの日パックは一人で食べるもんじゃない」ということではないでしょうか?
……というわけで、こんばんは、埴輪です!
いや、最初は良かったんですよ?
久々に食べるオリジナルチキンの味わいは最高でした!
……しかし。
終盤には「油が全身を回る」としか形容できない感覚に陥り、「二人~三人前」という表記は全くもって正しいということがよく分かりました!
それはそれとして。
今日も色々なことがありました。
散歩をしたり、家賃を払ったり、ミスドに行ったり、一人カラオケに行ったり、ブログの記事を書いたり、第13回MF文庫Jライトノベル新人賞第一期予備審査にWeb応募したり、一日の応募上限数は5作品だと6作品目が弾かれたり。
中でも印象深かったのは、こちらです!
「ユーザー投稿作品『幼馴染の自動販売機にプロポーズした経緯について。』が書籍化されます」
これは本当に夢のある話で、その大きさは「絵が上手けれ美人コスプレイヤーと結婚できる」なんてものとは比較になりません!
いや、マジで。
とにかく、「コンテスト受賞作ではなくても書籍化される可能性」を示すことになった今回の出来事は、カクヨムに作品を投稿している全ての作家に大きな希望を与えたに違いありません!
私は常々、「公平さ」に関して神経質です。
それが世の中の道理、本来の姿であるというのではなくて、世の中は「不公平」だからこそ、「公平さ」が必要なのだと思うからです。
世の中が「不公平」で溢れているなら、恵まれた場所にいる人達以外は、そこに何の希望も見い出すことができません。
そこで重要となってくるのは、実際のチャンスの大きさよりも、チャンスがあると信じられる根拠だと思います。
例えば宝くじ。
普通なら当たる方がおかしい確率ですが、「可能性はゼロではない」「買わなければ当たらない」などの根拠から、毎回多くの人が買い求めます。
なぜそれが成り立つかと言えば、実際に当選している人がいるからで、だからこそ、次回は自分かもしれない……そう思うことができるのです。
これが仮に、宝くじに当選できる人があらかじめ決められているとすれば、その上で宝くじを買おうと思う人はいるでしょうか?
誰にでもチャンスがある……そう人に信じさせるだけの根拠を示すことが、宝くじというシステムを成り立たせる肝になります。
こう考えると、前述の「コンテスト受賞作ではなくても書籍化される可能性」がどれほど凄いことなのか、おわかり頂けるのではないかと思います。
もちろん、勘ぐろうと思えばいくらでも勘ぐれますし、「不公平」の痕跡を見つけ出すことすらできるかもしれません。
ただ、疑いには際限がありませんから、疑うよりも受け入れた方が、日々を楽しく、前向きに生きられるのではないかと思います。
それでは騙されてしまうではないかと思われるかもしれませんが、誤解を恐れずに言えば、最後まで騙してくれるなら、それに越したことはないと思うのです。
もちろん、人を騙すのはよくないことです。
ただ、それを本人が気づかないように貫き通すということは、正直に付き合う以上に大変なことです。
また、時としてそれが正直な付き合いよりも、当人にとってプラスに働くこともあるかと思います。
恐らく、カクヨムにしても色々残酷な現実を包み隠さず暴露した方が、何かとやりやすいと思います。(それでも良ければ投稿してくださいというスタイル)
ただ、それができないでいるのは、全ての作家に可能性があるという希望を示した方が、得るものが大きいからだろうと思います。
実際のところ、カクヨムが投稿作品をどう評価しているのか、どういった基準で書籍化を決めているのかは分かりません。
カクヨムをどこまで信じられるかは人それぞれだと思いますが、少なくとも私は、今日の発表を受けて希望が湧いてきました!
依然として埋もれてしまった作品が再浮上するための方法は不明ですし、今回書籍化が決まった作品は、評価やおすすめレビューを多く集めていた作品であり、目立った作品であります。
欲を言えば、PV数がほとんどないような作品が、偶然の出会いによって発掘され、書籍化されましたというサクセスストーリーが実現すれば、カクヨムの空気はまたがらりと変わると思います!
……私の作品がそうなればなぁという思いを抱きつつ、今は感じた希望を糧に、「漫画原作小説コンテンスト」に向けてコツコツ頑張りたいと思います!
では!