自分の将来に期待して今を生きるというのはなかなかに難しいものです。
私を含め大半の受験生は素敵な大学生活を夢見て、人によっては恐ろしく辛い、勉強尽くしの今を生きています。
私は今現在、とても正常ですが、二週間ほど前は、ほんとうにすれすれな状態になってしまっていて、来年のことを考えようとも、自分の小さな頭では処理しきれないほどの、果てしない懐疑にまみれた、悩みなのか何なのかよくわからない思念に浸かってしまい、明日を生きることに前向きではありませんでした。
すれすれになっていたことに特に理由はありませんし、それが正常に戻ったのにも特にきっかけがあったわけではありません。
ただ、今の正常な頭で振り返ると、ことに私のようなやわな精神の持ち主には、将来を生きる意味があるだけでは足らず、なんらかの明日を生きる意味を見出す必要があるように思われます。
思うに、「将来を生きる意味」は大きなものである方が好ましいのに対して、「明日を生きる意味」は小さなものでも良く、しかし確実に持つ必要があります。
「あの本の続きを読もう」だとか、「友だちと話そう」だとか、その程度のもので良いのです。
ほんとうに小さなことですが、大きな将来に目を奪われ、こうした小さな、でも大切なことをつい見失ってしまうと、すぐそばにある「明日」すら生きることができなくなってしまうかもしれないのです。
木を見て森を見ないのも良くありませんが、森ばかりを見てすぐ横の木を見ないというのも考えものです。
今後は是非とも気をつけていきたいものです。