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前に書いた文章

近況ノートには事実を書く事にしている。
前回書いた事は事実であり、本心である。
そしていつか、全てを壊すかもしれない。
つまり、目的を放棄する可能性もあるという事。

問題が解決すれば、残された文章の目的は変わっていく。
紙媒体ではタブーとされ、また、普通小説ではタブーとされている、読者を裏切り続ける小説を書き続ける。

問題が解決すれば、そのシーンはなくなる。
しかし小説は別の像を描く。
その像は私との接点をなくしていき、抽象度が増していくと思う。

文学は芸術、思想、論、エンターテイメント、調書他様々な要素を併せ持っていて、優れているという枠でくくると、どうにもメッセージ性がおぼろげになり、メッセージがどれ程極端に無意味なモノとの距離を置いているかやバランス、リズムに寄っていく。

人々は陶酔を望む。

陶酔、とても心地よく、とても好きなものである。


自分は陶酔に届かない。

そこで駄文を書き連ねていき、何か未完成で何か回り道をしているような様子を表していく。
言いたいことがずっと言えずに核心の周りを螺旋状に登ったりしているうちに別の下る道を見つけ、最終的には核心の周りをいびつに取り囲み、回り続ける電子のなりそこないのように覆いつくす文章が書いてみたい。

文は書くたび、その文に飽きる。
飽きて試みた新しい書き方のその文に飽きたあと、再び以前書いた文が鮮烈に心を打ったりする。しかし二度読むとまた光を失う。

何度読んでもかわらないのは決意を込めた文章で
それは文学かというと、自分の生きたいと思う方向性で
それは文学というわけではない。

なんかそのよくわからない曖昧な文の中に、文学の中に隠されている構造、人の心を注目させる何かに興味がある。
感動させるのではなく、何か反応する…他人をではなくて自分を含めた人の心を反応させる構造というのに興味が出てきた。

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