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名前負けでポシャる

なんでまた「新文芸」なんてぶち上げたんだろ…
ぱっと見で頭に浮かんだ啓示は「ポシャるな、」だったけど。
名前負けだ。実態のイメージと乖離した仰々しいネーミングだから、結びつかないと思うわ。かと言って、海外と同じくUGCで定着ってのも難しいだろうから、訳語が必要なんだろうけどなぁ。
もっと実態とマッチした名付けはできなかったもんだろかね…

運営さんへ~

ここ読んでみな。UGCの本質をしっかり捉えてはるで。
http://d.hatena.ne.jp/asotetsu/20070703


キモは、Web小説含むユーザー製作のネット創作は「コミュニケーション事業である」ということだよ。あれだ、生保レディの仕組みとほぼ一緒。

16件のコメント

  • 私が「新文芸」というネーミングがイメージ乖離だというのは、新文芸では文学文芸の延長になってしまうからです。まったく違うのにそんな詐欺を働けば、ジャンル全体でそっぽを向かれるだけですよ。いわゆるオタクと括られる層とインスタなどに生息する層は違うという認識が、上層部にないのか、と思ったわけです。

    新本格だって、イメージだと「従来より堅い」という取られ方をしたんですから、「新文芸」だってそう取られるに決まってるでしょうに。ラノベよりは堅い、と取られてしまうんですよ!

    しかもその堅さは文体じゃないのに、そこが解かってないような気がします。文学的テーマや設定、物語のものをラノベの軽妙な文体で、というなら需要はかなり広いでしょうが、きっとそうは思ってないでしょう。

    一般文芸読者が手に取っても、「パッケージ変わっただけかよ、」とそっぽを向かれると思いますよ。中身の問題だ、てのに。
  • 名前が悪いわ、名前が。と思うのですよね。
    横文字じゃないとフィットしないでしょうにねぇ。状況と乖離。
    こういうのこそ、年代差というか感性がズレてる。

    これ、ユーザー・なんちゃら・コンテンツとかいうらしいですが、そのまんまでも若い人らなら通じるんですよ、私なんか年寄りなんで覚えられんけども。Web展開される双方向コミュニケーションのコンテンツ全般を指すんだそうですわ。で、Web小説の読者が非常に近い関係、なんてんだろ「会いに行けるアイドル」とかああいうイメージに近いのね。だからと言って地下アイドルってのも、とか思ったらやっぱ最近はライブアイドルとか別称が出来てるじゃんねぇ。昔からインディーズと呼ばれてたわ。年寄りが覚えられんからって付いたのが地下アイドルって名称なわけですよ。

    そこらへんを考慮に入れて考えろ、と思った話でした~。
  • 表現法を変えただけの、基本はお堅い「従来の小説の中身」を期待されてしまう率が高い、ということを危惧するわけです。
    実際には、Web小説というのはもう従来の小説という形態そのものから乖離したベツモノと捉えた方が実態に近しいんですよね。だから、完全に新しい名称で、アマチュアで発表されるものとは違う、プロが噛んで本屋に並ぶWeb小説ということを示すネーミングでないといけないわけで、あくまでWeb小説を彷彿させる名称でなくてはいかんのですよ。こっちはWebではない小説を彷彿させるんですわ、そこが失敗だ、というんです。
    けっきょく、実情を知っている、すでにWeb小説に親しんでいる層にしか響かない、という結果になると思います。
  • 新文芸にすると、むしろ作家への負担が増大しますよ。読者は文芸のイトコハトコに思うだろうし、その場合も文体ではなく、ガジェットや構造を文学文芸にしたもの、と理解する怖れが強いんです。
    ラノベを読まない読者が何を嫌っているかを理解してません。彼らの要求に応えようと思えば、文学が書ける作者が書いたラノベということになるのが解かってないんですよ。

    いったい、今の若い書き手のうちの何人が、真に文学を書けるだけの実力を擁しているか、という問題です。こんなもの、「面白ければいい」という指向の対立陣営ですよ、完全に。

    読者は、文学作品の非常に細やかな構造を正確に把握しなくとも、曖昧なままにでも、生み出された味わいとして受け取ることが出来る。
    だけど、書き手はそうはいかないわけです。正確にやり方を把握し、なおかつ自己のものとして変形までさせねば使い物にならない。そこまでやれる作者が少ないからこそ、文学で通じる作家は少ないんですよ。

    そして、これが肝心ですがラノベやWeb小説は「そんなもの要らない」ジャンルなんです。読者の求めが違うんで、書き手は高い技巧など必要なく、だからこれだけ作品が産出されているんですよね。
    もともと両者は交わらないって、だから何度も何度も書いてるわけですよ。読者に回るとそれが見えなくなってしまうんですけどね。
  • はじめまして。
    ごんべえ、と申します。
    面白そうなお話をされてましたので、つい、おじゃましちゃいました。

    正直、ファウスト系を読んで育った私としましては、新文芸には成功して貰いたいですが、どうなんでしょう。

    ストーリーが面白いとかそういうのじゃなく、文章を目で追う楽しみを読者に提供できるようなひとが出てきて欲しいですね。

    と言ったところで、そういうのが嫌いな人たちがコロニーを作って発展したのが、いまのウェブ小説かもしれないな、と最近思うようになってきたので、ダメなのかもしれませんが。

  • はじめまして、ごんべえさん。
    そうなんです、私が「新文芸」というネーミングに危惧するところも、文章を目で追う楽しみ、というのを彷彿させてしまう点に尽きるんです。
    Web小説の読者がそこを求めてるならまだしも、その求めはほぼないわけで、書ける作者も極少数なのにどうすんだ、と予測してるわけです。

    海外ではもっとシビアに、日本のライトノベルはそのまんまの名称で、「漫画と小説の間の読み物」みたいな説明文を付けて売り込む作戦が功を奏しているという話ですし、そういう毅然とした態度こそがバイヤーには求められると思うんですけどねぇ。

    「漫画と小説の中間」という位置付けをされる、枠組みに仕切られることでWeb小説系作品の面白さが損なわれるというわけでもないだろうに、妙な自尊心で「小説と同じ」なんて嘘を付くからややこしい事態になって、若い人らからそっぽ向かれる事態にもなるんじゃないか、と思うんですよね。
  • ライトノベルはライトノベルという新しい潮流で、それは既存の小説というものとは一線を画する存在ですわ。
    それはまた、ミステリのパズラーとかもそうで、あれは既存の意味でいえば、小説ではないです、ニューウェーブですから。
    だけどそこにパズラー書いてる作家たちはむしろ誇りを持ってて、今じゃ通常の意味での小説ではないから、パズラーはパズラーだとしか言いようがないですよ。どうしてラノベはそうなれないのか、と思うんですよね。

    「ラノベと、古臭い小説形式とを一緒にすんな、」とならないのが、なんかモヤッとします。もっと尖った自意識でいけばいいのに。
  • こんなことを言ったら多くの人から反感を買うかもしれませんが、ライトノベル=オタクのイメージが常に付きまとうからなのかもしれません。

    オタクの社会的地位はお世辞にもいいとは言えません。

    不潔だとか気持ち悪いだとかそう言った負のイメージがステレオタイプ化するほどに、です。

    これは、1989年7月に逮捕された一人の男からの呪いだと私は考えます。

    つまり、宮崎勤です。

    彼が引き起こした残酷な事件は最早、語るまでもないと思います。

    そして、彼がオタクであったことも同様に。

    つまり、凶悪な犯罪を犯した人物がオタクであったから、社会からオタクは犯罪者予備軍のようなイメージを植えつけられてしまったのだ、と私は考えます。

    これを呪いと呼ばずなんと呼びましょうか。

    こういう負のイメージを植え付けられて堂々としていられるメンタリティーを持つ人間はそう多くはいません。

    それが、多分いまの状況を産み出しているのかもしれません。

  • 追レスすみません。

    さて、上の戯言はさて置き、私としましては、新文芸という試みには大きな期待をしています。

    ウェブ上で、しかも、リアルタイムで超絶的な才能を持った化物の誕生を目撃できるかもしれないからです。

    京極夏彦、森博嗣、上遠野浩平、乙一といった90年代の巨匠や佐藤友哉、西尾維新、奈須きのこ、そして、伊藤計劃といったゼロ年代を牽引した奇才の誕生を目撃できるかもしれない。

    そういう、期待を、夢を私たちにくれそうな気がするんですよね。

    駄文、失礼しました。
  • 宮崎勤は、彼はオタクではないです。そういう意味では濡れ衣ですし、そもそもオタクという名称も、ある種の人々の隠れ蓑に利用されているだけで、これも迷惑千万な話でしかありません。
    その元凶に居るのは、「ロリコン」です。人々が嫌悪し、敵視しているのは、ロリコンと言われる人々だけで、彼らにオタク全体が翻弄されているだけの話です。
    これ、実に根深いものがあって、通常の感覚だと高校生くらいの年代が恋愛対象で見られるなんて正常な感覚なのに、幼児や小学生を性対象とするごく一部と一緒くたに、その正常な部分までが抑圧されてたりするんですよね。
    だからといって、幼児対象のロリコンが悪いのかといえば、これまた単純な偏見だとか親の過剰反応だとかもあり、実に根深い問題です。

    「誰も悪くない」というのが、社会問題の中ではもっとも始末に悪いものですが、その代表格といっていい問題です。なので、宮崎が悪いという間違った認識はどうか改めてください。
    これは、「差別」問題の一つです。人種差別とかと同じなんです。根本の原因は、差別している側の、つまりオタクではない人々が勝手に「宮崎はオタクで、オタクというのはロリコンで、幼女を犯して殺すんだ。」と、そういう宗教を持っているからだとご理解ください。
    この宗教を破壊しなければならないのですが、相手が宗教なので、その教義がいかに凶悪で、彼らが敵視するものよりもタチが悪いということを知らしめるのは難しいってことなんです。盲目になってますしおすし。
    と、こういう構図があるってことで、宮崎じゃないですから。宮崎より先に「オタクはキモい」があって、宮崎をオタクだと決め付けたのが本当です。

  • 皆がちょっとずつ悪いとも言えてしまいまして、パンピーはオタク差別を持ってますから何かあったらオタクのせいにして自己の安泰を図るんですね、オタクを最下層にして全部の責任をオタクに負わせるわけです。

    オタクの中にロリコン差別があり、これが上記のパンピーからの差別感情をそのままロリコンに流すわけです。責任をロリコンに流す、あるいは腐女子に流すとか、オタクは一枚岩になれないわけです。江戸幕府がやったエタヒニンの政策そのまんまですけども。

    根源には、オタク自身に自己卑下の感情がありまして、これまた戦後にGHQがやってくれた日本国への自虐史観と似た構図を持ってます。

    そういう複合の手強い差別の枠組みが何重にも取り巻いているのが、オタク界隈ということなので理解するだけでも大変なのですよ。

    だけどいわれのない差別で、一番上にふんぞり返っているパンピーの「自分のせいじゃないわ、」という安心感のための犠牲になってる必要はないので、もっと堂々としていいんですよ。

    ロリコンでもオタクでも、それは恥じ入らねばならないシュミじゃないですから。一種の洗脳ですんで、洗脳は解いていきましょー。
  • パンピーの連中に言ってやるべきなんです。
    「そうやって責任転嫁すんな、お前のそれは根拠がない、差別だ。」と。
  • 差別ですか。
    なんだか、「86」を思い出してしまいました。

    完全な勉強不足ですね。

    誤った認識は改めなければなりませんね。
    日本事件史のなかでも飛び抜けた凶悪犯だとしても、謂れのないことでどうのこうの言われたくないでしょうから。

    正直、私自身が結構なオタクですので、今回のご指摘には救われた思いです。

    本当に有難う御座いました。
  • かつては本当に、何か事件があるとマスコミは漫画やアニメの影響を報じたんですよ。それは、視聴者がそういう論調でないとウケなかったからで、ここも間違えちゃダメなポイントです。
    もともと世間の中に、漫画アニメは悪影響だという定説があったんです。
    「漫画ばっかり観て!」てアレです。
    根拠はございません、ていうアレ。(笑

    で、根拠もないこの定説に沿ったモノは何でもウケたんです。そのくらい広く信じられてたんで、宮崎もオタクだという事にされちゃったんです。
    どこかの記者が愚かにも定説を信じて、宮崎はオタクだと書いちゃったら、普通はそれに対する反論がどこかの記者から出なきゃおかしいのに、それが無かったんですね。捏造だというのはすぐ解かるのに、当時はどこも書かなかったんです。
    また、オタク界隈の有志が反論書籍を出したんですが、これも世間には完全に無視されました。
    世間は一色に染まっていて、反論などは受け入れなかったんです。
    これが、当時で一番異常なトコでした。

    言論統制下の世相並みに、オタクは犯罪者予備軍だという決め付けは広く浸透して、誰も疑わないどころか、その定説は常識とか、あるいは教養のうちとまでされていたんです。恐ろしい時代があったんですよー。

    現在、価値観が多様化するに従って、こういう定説は作られなくなっていき、その代わりに「得体の知れない事件」というのが増えていきました。宮崎の事件も、実際はこの「得体の知れない事件」の一つでしかありません。
  • 得体の知れない事件は、誰もが加害者になり得る、というのは京極夏彦先生が『魍魎の匣』で仰ていたことではありますが、世間一般の方々はオタクという存在をスケープゴートにして自分達と隔離してしまうことを選択したようですね。

    臭いものには蓋を。

    嫌なものは遠くへ。

    そうすれば、見たくないモノを見なくて済むから。

    実に短絡的で何の問題の解決にもなっていませんが、これが集団心理の性質の悪さというやつなのかもしれません。

    その結果、日本人の深層にオタクと言う憑き物が住み着く結果になってしまったわけですね。

    これを祓うには一筋縄にはいかず、結構な時間と私たちのそれ相応の対応が必要になりそうです。
    相当に困難な戦いになるでしょう。

    何故なら、世間様はこのオタクという憑き物が祓われることを望んでいないから。

    世間様はそれでいいかもしれませんが、私たちからすれば大迷惑ですし、もっと深刻な問題を孕んでいるから厄介です。

    しっかりと考えなければならない問題から簡単に目を逸らしてしまう。

    倫理観の欠片もない国々に囲まれてなお――いくら憲法9条が自衛のための戦争を否定していないとして――ヘラヘラしている精神性は恐らくこの見たくない物事から目を逸らす悪習からきているのかもしれないですね。

    手遅れになる前に考えた方が良さそうですが……。

  • そうです、すべてが結局は繋がっていくんですよね。

    全然ベツモノと思われているオタク差別と憲法9条は、実は根深いところで繋がっています。そして9条を介して、スケープゴートの精神は世界とも繋がっています。平和という理想の礎石として、むりやり日本を置いているところがあり、二枚舌の理想家たちは日本を危険に晒していると承知の上で、日本にだけは理想の戦争放棄を謳えと強制しているのです。これが私は一番腹立たしい。

    そんなに尊いものなら、武力放棄を自分の国で声高に叫べばいい。

    何も戦争や軍隊を賛美するつもりはないんですが、彼らの都合の良い、己の理想の為に他者に犠牲を強いるその根性が嫌いなんですよね。自国では軍人を誉めそやし、日本の自衛官は謗る、なんという二枚舌か。
    バカでも解かる理屈にすら背を向けて、バカ丸だしな理想主義です。

    理想主義者、大嫌いなんですよねー。(笑

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