カクヨムはもっと自由な創作表現の追求の場であるべし。
投稿者と閲覧者という構図を、脱構築すべきだ。
ある作品に、会議室をくっつけよう。
そして、閲覧者は、会議室に入り、議論を展開するのだ。
一介の閲覧者から、創作論の構築へと進み、間接的に、その作品の作者の立場となる。
同じジャンルで、あった表現と比較したり、テーマに対して、繋がりのある思想を共有するとか、あっていいだろ。
我々は、単なる自己満足の小説投稿という場ではなく、表現の探求を共有するものとして、このプラットフォームを利用していけるんじゃないか?
そのためには、BANという強権行為による監視構造のなかでは、各々のオリジナリティある意見や知見を、表現者という立場を共有する仲間たちに伝えることができない。
しかし、これを言う資格は私にはない。
なぜなら、BANの実態を知らないからだ。
とりあえず、勢いで、主張を書いてみた。
結局、どんなものが、BANされているんだ。具体例を知らない。すまん。