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カクヨムBANというパノプティコン

カクヨムはもっと自由な創作表現の追求の場であるべし。

投稿者と閲覧者という構図を、脱構築すべきだ。

ある作品に、会議室をくっつけよう。
そして、閲覧者は、会議室に入り、議論を展開するのだ。

一介の閲覧者から、創作論の構築へと進み、間接的に、その作品の作者の立場となる。

同じジャンルで、あった表現と比較したり、テーマに対して、繋がりのある思想を共有するとか、あっていいだろ。

我々は、単なる自己満足の小説投稿という場ではなく、表現の探求を共有するものとして、このプラットフォームを利用していけるんじゃないか?

そのためには、BANという強権行為による監視構造のなかでは、各々のオリジナリティある意見や知見を、表現者という立場を共有する仲間たちに伝えることができない。

しかし、これを言う資格は私にはない。

なぜなら、BANの実態を知らないからだ。
とりあえず、勢いで、主張を書いてみた。

結局、どんなものが、BANされているんだ。具体例を知らない。すまん。

2件のコメント

  • とりあえず、その情報を解釈した限りにおいては、思想、意見、表現の自由は損なわれてる印象ですね。
    うーん。なんか、いいところを誉め合う場所とか、あれば、いいんですかね?
    自主企画でもあるじゃないですか、傷のなめあいってやつ。あれを常駐にしたら、ちょっと解決しそうかな???
  • 自分の努力を、他人から誉めてほしいという目的だけの人のために、BANが使われている感じですかね。
    それは、ちょっと違う気がするなあ。
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