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最近、メモばっかりだな。

長い文は書いていない。
時間をかければ、できないこともないが、やらない。

最近、手に取った本が、大変に高い難度だった。正直、ろくに読めていない。内容を把握するにも、言葉の前提を知らなすぎる。

細かくアウトプットしていかないと、進まない。

思い出したときに、エッセイに書いているくらいだ。

なんだか、力が抜けてしまって、気張って、見栄をはった文章を作る気分になれない。精一杯、見栄をはって、あのくらいの文章であることは、悲しく思うところである。

くそう、もっと論理を構築して、現実の研究リソースを使えないのか。おのれ、無力感というやつだ。悔しい。

まあ、そんなわけで、全然、人に読んでもらうための文を考える気持ちになれぬ。
ぼんやり浮かんでいる考えに、足りないパーツがありすぎて、うまく組み上がらない感じだ。
形がぼんやりとしすぎていて、その形が整うのを待っていると、何も出てこない。小出しにしないと、止まってしまう。それを避けること以上のことはできない。

わざわざカクヨムでやることじゃないが、手段のひとつとして使っている。

読むことは、選んでもらえるし、万一、コメントがあれば、道筋も見えるかもしれない。

では。

1件のコメント

  • 構造主義は、難しい。異なるように見えて、ある概念に共通点がある、というくらいの認識なので、申し上げるのもはばかります。

    神話的構造というと、ある小説の生活の具体例を思い付くくらいで、抽象的に、神話的パターンの生活を捉えられないんですよね。単純に、地理と、職業と、資本との相関と、生活様式の具体例を欠いていることが、原因にあるかな。

    世代をこえて存在する生活様式のあり方、つまり、だいたいこうやって生きてりゃいいんだというやつですが、学歴社会の神話も崩壊しつつある今、どんな神話があるのか、見当もつきません。

    ぼくは、デジタル化にのまれない人間性とは何か、というところに興味を持っています。もやもやとしたものを抱えながら、本をながめる日々。うーん。
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