• 詩・童話・その他

雲と話す、という宣言

全力を出すというか文字通り今の自分の宇宙を出し切るのがいいなとおもいまして。
他に手っ取り早い表現方法もないので、文字を使って表現したいと思います。
一人だと構造的にこのもどかしさは解消されえないだろうと思ったので、公開的な媒体に投稿しようという手はずになりました。というのも自分一人で考えて考えて、本を読んでメモ書きをたくさんして、また考えて本を読んでようつべの動画とかも考えの参考にして、考えてニコニコ動画で疲れをとったりしつつ結局また考えてたまに来たぞなんか進んだ感あると思い到るも、また考えて。そんな生活が中心になって十年がたったからです。間三年わりと考えが主流ではなく傍流でありしときもあったのですが、その間も誰かに本気で語りかけたことはありませんでした。やっぱり対面で、しかも友達や知人は僕の考え以外のご縁でつながる側面もありますから、ドカンとぶつけるにははばかられるのです。というより人と相対して話したり、輪になって話すとき、正直僕が僕が話しているわけでもないし、だれがだれが話しているわけでもないと思うのです。人はいい感じにまを取るといいましょうかそれはごく自然に誰かと誰かがお座敷で話すとして、完全に密着して体と体を重ね合わせながら対話を始めるのが誰かと誰かの出会いということはまずないでしょう。たいていそういうときは間人三人分くらいは距離を置いて、真正面から向き合うではないにして話すのではないでしょうか。視覚的にも見て取れる距離感を引き合いにだすために座敷での会話を例にとりましたが、ファミレスやスタバで話すにしても椅子と机があらかじめおいてあるの意識はあまりしていませんでしたが、やはりある程度の距離がありますよね。はい今いったような距離をとるのですこれは心理的だの視覚的だのあまり分別がないように思われます。わたしは基本人にはさんづけを外さない、外せないです。故に友達知人にこう話すこともありません。ですがエッセイ(試論)や小説、詩や俳句、論文(私は基本的に20世紀までの今となっては知的小説程度にしか顧みられない形の論文を主に読んでいるので皆様が経験された形の論文よりはいささかエッセイに寄ったとらえ方をしていただいたほうがいいかもしれません)などは読んでいてそういった距離をあまり感じません。感じますけど距離を取る必要がないというかなんというか、はい。ということで私はここに文字を介してとはなりますが出したい物を出したいなと思います。雲に話しかけるようなものだなと思いました。題名はそうします。*距離感と座席のことを書いて思ったことがあります。私はいわゆる風俗とそれに類する施設に行ったことがないのですが、そういった施設やお店ではファミレスやスタバのような席の形ではなく間に介さずに座れる、ある程度距離が近くならざるをえない、自然に距離が近くからスタートできる席の形をしているのだろうかと思いました。何かをスタートするとき視覚的と心理的の連関はおもしろいものがあるのでしょうね。20240907

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する