奏~Soh~の中で、二曲ほど英語の曲を和訳がございますが、完全に私なりの意訳です。
そもそも、日本語を英語で表現しきれないように、逆もまた然り。
英語の歌詞は、そのまま英語で受け止めるのが正しいのでしょう。
しかしながら、英語で夢を見るスキルもありませんし、早口で喋られたらヒアリングも怪しい私にとって、なかなかハードルが高いことではあります。
ヴォーカルとして曲を唄う時に、心がけていることがあります。
それは、歌詞の物語を壊さないということです。
ですので、一文ごとの意味を正確に訳せなくても、全体として何が言いたいんだろう、どんな感情で唄ったらいいんだろうと考えます。
日本語の歌詞でも解釈が難しい曲は沢山あります。
例えば、椎名林檎さんの「丸の内サディスティック」なんかもそうですね。
そのままだと、チンプンカンプン。
音楽に詳しい人なら兎も角、「リッケン620(ギター)」「マーシャル(アンプ)」「ラット(エフェクター)」「ベンジー(ギタリスト)」「ピザ屋の彼女(ブランキージェットシティの曲の登場人物)」「グレッチ(ギター)」が何だかわからない。
この辺りは沢山の解釈がネットに溢れておりますので、興味がある方は検索してみると面白いと思います。
でも意味なんてわからなくても、格好いいし、伝わってくるものはあります。
歌詞は詩です。ポエムです。
受け止める、聴く人のその時々で解釈、意味も変わってくるものです。
「奏」の中に出てくる和訳は、物語上での解釈です。
いい加減な私がイメージしているものですので、あしからず。