みなさんこんにちは、雪方です。
今日は二回目のつぶやきということで、ひとつお題を出しますので、ぜひ考えてみてはいかがですか?
あなたは、『友人もしくは、他の人の小説を見て、勝手に内容で相手の性格、さらに言うと、その人のことをバカにしたりはしますか?』というお題です。
結論から私の意見ですけど、バカにしたり、性格の決めつけは非常によくない行為だと思います。
一つひとつこれから私の意見を述べてみたいと思います。
まず、私はよっぽど酷い場合を除いて、基本的に他の小説をバカにしたり、性格の決めつけはしない人です。
※よっぽどの場合は、先に他の人から煽られたりすることです。
小説というもの自体は正直自分から思うと、その人の性格とほとんど関係ないと勝手に思っています。
小説を書くために、『想像力』が一つの大事なポイントですが、日常の細かいきっかけなどに構成される物だと思います。
皆様だってなんのこともせず、ただ家のベッドに寝転んでいるだけじゃきっかけは生まれません。
ここでの『ベッドで寝転がる』って言うことは、つまりスマホなどで情報を得ることすらできないことです。
もちろん生まれつきの才能で、簡単に想像力を使って小説を書くことはできますが、どんだけ天才な人でも『情報』がなければ言ってしまえば
『なにも思いつきません』
たとえばみんなに家に居させて、スマホとかすべて使えない状況で一日過ごそうと、学べるものはないし、言ってしまえば一日過ごしたろうと、『昨日の自分』とほぼ同じのようなものです。
そんな日々の積み重ねによってできる想像力は誰にだってできる。みんなも脳があって想像する。
そんな皆様にきっと一度だけは自分の性格と捻ったことを考えたことはありますよね?
たとえば自分は優しい人だとしても、きっと一回だけは『あいつのこと殴りテェ』や『この人となにかしテェ』みたいな状況は絶対にあります。
でもそれは別にやっちゃダメなことではないです。思想の自由は全世界の人々にありますから。
ただただそれが具体化して、『小説』というものが生まれたと私は思っています。
性描写多めだろうと、残酷描写多めだろうと、本質的には相手の思想なので、それをバカにすることこそダメだと思います。
見たくなければ見なければいいし、嫌いなら嫌いな話をするなって話ですけど。
話し方が悪くなるかもしれないですけど、私にとってアンチして他人の小説をバカにするにも関わらず自分の発想を具体化しないやつはただのビビりです。
相手をバカにするなら、相手の自分の発想を具体化するという『勇気』を超えてから言えよ。
小説の内容だけで『キモい』とか言って、さらにその人の現実の生活にも影響を及ぼすのは『小説』の本質を逆らうことだと思います。
きっとそういう酷い話を受けて小説をやめる人だって少なからず絶対にいると思います。
本当にアドバンスあげたいならちゃんとあげろ、アンチすんなって言うのが私が言いたいことです。
追記 思ったこと本当にそのまま出してはいけませんからね、多少は『他の人に見せる』っていう意識だけは持った方がいいと思います。
ごめんなさい拙い文と口悪いことを書いてしまって。本来ならここまで熱く書きたくなかったけど、熱くなっちゃいました笑。