あるところに人よりも上手な小説を書けると自信満々な作家のたまごがいた。そのたまごは二次創作を書いていて実績も実力もあると自負していたので、オリジナル小説くらい簡単に書けるだろうと思っていたようである。事実、同人誌の読者は千人以上いる作品を書いていたし、賞賛もされていた。それなりに業界でも名の通った存在であった。
しかしながら担当編集にオリジナル小説を見せると原稿用紙を破られる毎日。しかも文章が下手とか内容が面白くない以前の話だと生活指導員のような罵倒を受ける始末である。たまごは自尊心の強い人間なので反論や反抗をするが、担当編集はキレるだけでデビューのデの字すらでないようになった。
とうとう担当編集は、たまごが社内のお偉いさんの推薦とはいえまったく使い物にはならないとある作家先生に無理矢理弟子入りさせることにした。たまごも担当編集が心底ムカついていたので、作家先生の家に通うことを受け入れた。
作家先生はとても優しい人であった。けっして担当編集のように怒ったり理由を言わずに原稿用紙を破ったりする人ではなかった。何故だめなのか、どうすればいいのか。プライドだけは大作家気取りのたまごにもニコニコしながら指導をした。作家先生が自分のお気に入りの万年筆や便箋を与えて「わたし宛てに小説について自分が考えていることを手紙に書いてごらん」と言うと、たまごは意気揚々と書いては作家先生に送った。
最初は順調であった。自分の理想や現実の不満、作家とはこうあるべきだ、そんな自分の思ったり考えていることを一方的に書いては送り続けた。作家先生は内容には特に触れることは無く、ガラスペンの赤インクの文字で「そうですか」とか「大変ですね」などのひとことを添えるのみであった。
永遠に書けると思っていたたまごは二週間もすると小説について書くことがなくなった。日常のどうでもいい話でごまかすようになると、ついに作家先生から「あなたの考えはそんなものですか」と赤インクで書かれた。人柄に合った優しい筆跡であったが、たまごはついに自分の実力がそんなものでしかないことを理解した。
身の程を知ったたまごの顔色を見た作家先生は、次の日から他の弟子と一緒に指導することにした。指導の中心は作家先生が「海」や「皮」などの単純なテーマを出し、弟子たちは原稿用紙2,3枚程度の短編を書いた後、全員集まって作家先生の講評を聞くことであった。
ここでたまごは本当の意味での人生初の挫折をした。これまで学業も仕事も二次創作でさえも上位1%どころか先頭にいて当たり前だった自分が、他の弟子の文字にしてわずか千字程度の作品にまったく勝てないどころか恥ずかしいくらいに何も知らないと思い知らされたのである。相手はデビュー前の人間である。たまごはデビューが約束されている存在であり、彼らよりも圧倒的に上手な自信があった。しかしながら他の弟子の原稿用紙をパッと見ただけで、自分が圧倒的に劣っているのを悟った。しかも努力で補えそうな差ではないとすら感じた。
そんな弟子たちの作品であっても作家先生は口調は優しいが講評は滅多打ちであった。しかし言っていることは至極妥当で、弟子たちは真剣にメモをとりながら自分のダメなところを理解しようとしていた。また上手に書けた人には拍手をして栄誉をたたえた。たまごはそれまで人とは蹴落とすものでしかないと思っていたので、そんな雰囲気に戸惑うしかなかった。
そんな野生児であったたまごも数か月もすると作家らしい文章を書けるようになってきた。そもそもテーマとは何かを理解すらしていなかったたまごも、才能の塊である弟子たちの作品に揉まれ、作家先生の指導を受けることで、それらしい評価を得るようになった。初めて優勝をしたときには、弟子たちから受けた拍手に思わず涙ぐんだ。作家先生が「心のないものは人を動かせない」ということを根気強く教えてくれた結果であった。
その後はデビューからトントン拍子でちょっとばかり売れ、作家らしい活動をした。数年経ってもともとの会社勤めが成り立たなくなるくらいに作家業が圧迫するようになると、締切を破るのが常になってしまった。かつてたまごであった彼女は本業を選び、作家を辞める決意をして作家先生に報告をした。作家先生は心から悲しい顔をしたが、「お疲れ様」と言ってくれた。
※この「たまごの彼女」、今はカクヨムで書いているらしいです。