拙文『三分間憎悪 ~時を止める青年の主張~』を2ちゃんねるに晒しました。
4月30日朝、ちょっとイライラした気分になっていた時に、勢いで晒してしまいました。結果、多くの丁寧なコメントをいただき、感謝しております。おかげで私が読まれないのはどう考えても運営が悪いという幻想を打ち砕くこともできました。[百]作者はウケると思ってたシリーズ ですね。
一応、私の文章の執筆意図を記しておきますと、以下の通りです。
私は『トリストラム・シャンディ』シリーズが大好きで、いつかあのような抱腹絶倒の文章を書きたいと思っておりました。そのような視点で、カクヨムなどウェブ小説サイトのインターフェイスを見ると、大変興味深いのです。小説本文、読者コメントに対する応答を通して明かされる設定の補足、近況ノートで語られる執筆背景、その他小説に関係あったりなかったりする諸々の言葉、連携しているtwitterのアカウント……。これらは連続してグラデーションをなしており、読者は一体不可分な一個の塊として読み、評価し、議論することを強いられるわけであります。web小説は息を吸うようにメタフィクションであり、もはや技巧も衒いも存在しないのです。
このことはメタフィクションにとって大いなる祝福であるように思われました。20世紀、人類は悲壮な覚悟と決意をもって第四の壁の破壊に邁進してまいりましたが、その背景には現実への言い知れぬ不安があったはずです。しかしながら、本来メタフィクションはもっと素直で、正直で、楽しいものであったはずです。我らのトリストラム氏が再び光を浴びるべき時がやってきたのです!
とまあ、まさに失敗するプロジェクトの見本のように、大風呂敷を広げたわけであります。
とはいえ、私も、海鼠を生のままお出しして食べていただけるとは思っておりません。
まずお客様を迎えるための玄関として、ストーリーを提示することを目指しました。ストレスなくご理解いただけるよう、学園ラブコメ的テンプレを流用したつもりです。文章の調子を示しつつ読者を温かく迎え入れたうえで、母屋へと誘っていく戦略でした。ですから、既公開部分はプロットの中でも比較的展開がはっきりしている部分なのです。
これを決定したとき、実に素晴らしいコンセプトだ、これは最強だな、後悔しないのは人類にとって損失だ、俺TUEE!と心の中で快哉を叫んでおりました。
ところがどっこい、このストーリーが完全に破綻していたわけであります。全く理解できないという趣旨のコメントをいただきました。
そして、より重大かつ不都合な真実として、文章の根幹部分が全く面白くなかったのです。『トリストラム・シャンディ』のような洗練されたギャグ、魅力的なキャラクターは1ミリも再現できておりませんでした。くどくて読む気が起きない、読んでいて楽しくないという趣旨のコメントをいただきました。
私は三日の間、廃墟と化した我が邸宅の再構築に挑みましたが、なんということでしょう。そもそも明確な戦略も立たず、いくら時間を停止してもとても足りないような有様でした。そのうちに気力もなくなってきました。
そういうわけで、駄文を読んでいただき有意義なコメントをいただいた方々には大変申し訳ありませんが、評価など気にせず、あまり修正せずに突っ走ろうと思います。一応始めてしまった責任がある以上、完結するまでは死なないようにします。あらすじはありがたく使わせていただきます。
さて、この近況ノートを通して私が伝えたいのはこの後の部分です。
私自身は自分の無能さ故挫折しましたが、web小説と『トリストラム・シャンディ』は大変親和性が高く、かつブルーオーシャンであるという信念は揺らいでありません。頭を空っぽにして読める、どこから読んでも楽しめるというのは、まさにweb小説の消費され方のありように合致しているように思います。もしここを見ている方で賛同していただける方がいらっしゃるようでしたら、是非とも書いていただきたいと思います。
また、『トリストラム・シャンディ』をもし読んだことがない方がいらっしゃったら、一度読んでみてください(※冒頭から下ネタですので、苦手な方はご注意ください)。この前、神保町の三省堂(神保町で最大の新刊書店です)で見てみたらなかったくらいなので、古書店を漁るかアマゾンかと思いますが。