昨日は、広島に原爆が投下された日でしたね。私と雅は会社で、原爆が投下された8時15分に手を合わせて、黙とうを捧げました。たった一発の核兵器によって、多くの人命が失われたほか、生き残った人にも辛い地獄を見せて、今は79年時を刻みました。
原爆を投下したアメリカには、戦争を早く終結させるために必要だった。と言う意見が根強く残っていると言います。私は何も日本がそれまで諸外国。特に近隣の国々に対して日本が行った非道極まりない行為については、やはりきちんと謝らなくてはいけないと思いますし、これからも非人道的な扱いをしてしまった方々に対しては、向き合い続けなければいけないと思います。その一方で、果たして原子爆弾と言う核兵器を使う必要があったのかという思いもあります。
そして、ウクライナ戦争や、ガザでの軍事攻撃など、核兵器の増強を訴える世論もありますし、日本国内でも、中学と台湾の問題に絡んで、核武装すべき。あるいは北朝鮮の核ミサイル問題のからみで核兵器を持つべきと言う意見がありますが、私は核兵器によって、一瞬にして奪われた尊い命の叫び・生き残った方々の悲痛な思い、そして引き起こされた惨劇にもっと耳を傾け、曇りなき眼で見て、あの日に広島と言う場所で何が起きていたのか。そして、生き残った方々が何を見たのか、それを考えてほしいと思います。私の祖父母は戦中から戦後の物資の乏しい中で懸命に生き抜いて、広島に原爆が投下された瞬間をこの目で見たと私に話してくれました。その祖父母が戦争について話してくれた時、私に「本当、戦争と言うのは絶対にしちゃあいけん。皆が不幸になるだけ」と語ってくれました。もう世界のどこであっても、戦争は起きてほしくないです。
その原爆の投下された九州長崎への修学旅行について、明日以降どんな様子だったかを書いていこうと思います。
さて、今日のちょっと昔の写真。昨日に続いて2010年12月末に訪れた、倉敷美観地区のようです。