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少年法…

 今日は、私が1984年の年末に、中学校の教室の中で起きた事件について、大富豪ゲームの中で書いたんですが、そのからみで今日は少年法に着いて少し考えてみたいなって思いました。少年法は、犯罪を犯した未成年の保護と更生を主目的に制定されている法律です。この少年法の意味することや理念は、私も理解してます。しかし、犯罪を犯した加害者の権利ばかりが優勢になっていると思います。
 私がいじめ被害に会った時、加害者も当時11歳から12歳で、私が加害者の実名を公表して、こういった書き物として記述することも、禁止されています。そして、加害者は今も何事もなくのうのうと生きているというのが実情です。その一方で私は生まれ育った故郷を離れなくてはならなくなり、引っ越ししてからしばらくの間は、本当にその日一日を食べていくのがやっとというような生活が続いていました。両親はそれでm、お懸命に私たちを養うために、懸命に働いてくれてましたが、大阪に住んでいるときに建て増しした家のローンや、取り壊して更地にするための費用・そして引っ越しにかかった費用や、山口で新たな住みかとしての家を買った時のローンの支払いなどで、本当に毎日が大変でした。本来なら、そういった費用は、加害者がすべてにおいて全責任をもって果たさなければならない責任であるはずですが、加害者及び、加害者家族からは何の謝罪もないし、慰謝料の支払いなどもなかったです。その理由は
「加害者にも未来があるから」
ってことでした。
「じゃあ、俺たち家族の未来はどうなってもいいのかよ」
って思いましたが、この当時12歳の私にはそれ以上責任を追及することも難しく、弁護士などに相談するにも、その弁護士費用を支払うことさえも難しい状態の生活であったため、結局は泣き寝入りするしか道は残ってなくて、今に至っています。
 私はこうして自分が体験したことをこうして公表するのは、まず一つ目には、誰も自分と同じ辛い思いをしてほしくないってこと。そしてもう一つは、いじめ加害者や、後に登場する、家庭を滅茶苦茶に破壊した元嫁に対しては、一生消えることのない生き恥をさらしてほしいという思いがあります。今考えたら、私が合法的に相手に復讐する手段であり、いじめや家庭内のDVがいかに悲惨な結末を迎えるのか、知っていただくツールになっています。

 そして、もういい加減加害者にやさしく、被害者に厳しい少年法の在り方を考えてほしいなって思います。いくら未成年でも、人の人権を蹂躙してはいけないとか、人を殺してはいけないとか、それくらいわかるだろって思います。未成年だからと言って、更生に重きを置くのではなく、加害者の権利を主張するのであれば、それはきちんと、自分が犯した罪を償って、きちんと責任を果たした後に考えてもらいたい。そう思う私です。
いつもは緩くこの近況ノートを書いていますが、YouTubeの動画で見た、未成年の加害者によって大切な家族を殺された被害者の裁判の様子などを見て、あらためて、今の時代にそぐわない。矛盾だらけの少年法の在り方について考えてみたいと思って書きました。

今日のちょっと昔の写真。2010年8月に上越線で上越国境を越えている最中の車窓です。このときは、水上を出て、清水トンネルをくぐるまでは雨が降ってたんですが、分水嶺を越えて、新潟県に入ると天気は晴れてました。

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