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彗星と感情がノッた文章について書きたかった件について


 空を見上げて途方に暮れる。どれやねん。

 いえね、彗星、見たかったんですよ?でもですよ、先週多少の残業がありまして時間帯に間に合わず。土日雨でして。ようやっと昨日は定時で帰れたと思い西空を眺めてました。「あれか!」家帰って調べたら尾の方角が違ったのでたぶん飛行機でしたね。キレイでしたが違いました。
 本日も定時であがって西空を眺めてました。さっぱり分かりませんでした。なんでしょう、金星から20度って。金星、明るくてキレイだったなぁ。綺麗な夕焼けから群青色に変わっていき藍から徐々に昏くなっていく様も美しかったなぁ。ですけども。
 確かに雲もチラホラ多かったのですが。うーん、難易度高いのか地域によって観れないのか。目が悪いのか。何でだろう。次の2万年後まで待てる気がしないしなぁ。まあ、キレイなモノたくさん観れたし良しとするのです。

 それはさておき、最近、文章に感情を乗せる時ってどうしてたっけと改めて考えてまして。まあ、文章から感情をどのように受け取るかなんて、読み手がどんな状態か次第だとお茶を濁すことも出来るのですけども。
 まあ、繊細な気持ちはいざ知らず、激しい怒りや憤り、深い絶望や悲しみの感情を書き手として、「乗せれた!」と手ごたえを感じる時はあるのです。
 実際受け手は読みとくかは分かりませんが、書いた本人としては読み直してもしっくりきて満足顔。それでそんな時、自分はどんな状態かと思い出してみると……まず平静でいた試しがないのです。そして大抵めちゃくちゃキーボードを叩いてるんですよ。キーの上で指を移動させるのもまどろっこしく感じてるのですよ。とにかく先へ先へ。感情を吐き出したい。そればかり。
 まあ、激しく感情が動く時。声は大きくなりますし。言いたい事が言いたくて早口になりますし。納得といえば納得。そしておそらくなんですけど、この時の文章ってその激情のノリで書かれてる文章なハズなのですよ。そのノリで書かれてる文章だから読み取った時に感情が呼び起こされる訳で……あれ、結局は書き手にしか作用しないのか?どうなんだろう?
 どこに着地点に持っていきたかったかというと、感情と文章って、音楽とSPレコードみたいな関係なんじゃないかなと思ったんですが、自信なくなっちゃったな。
 あと、だからどうしたと。書きながら思ってしまいました。結局感情を書くためにはその主人公と同じだけの熱量の感情を自分が持たないといけない事には変わりない訳で。頑張ってテンション上げていきましょうねーとしか言えないなぁ。ああ、でも。
 急にそのテンションに乗る事ってないですよね。だいたいはちょっと前から助走期間があって、それでその感情に至る訳で。逆にその感情に至る迄の道筋ができてないようだと、やっぱり失敗なんですよね。読み手もその道を通ってくるし、その道筋でしか読み手の感情は上がらない筈なんで。自分が乗れない文章だったらそれはもう書き直す他、きっとないんだろうなぁ。
 あと、激情のノリで書いた文章は基本、後から手を加えるのはノリが崩れるので悪手だとも思ってます。誤字脱字や分かりづらい文章とかもあるので悩ましくはあるのですけどね。

 と、私は思いました。マル。
 という、特にオチもなく思いついた事を徒然なるままに書き留めて終わりたいと思います。すいません、書き留めたかったのです。

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