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筑前筑後通信(212)の「枝垂女舞衣」アナザーエンドの巻

「妻恋剣 枝垂女舞衣」のもう一つのラスト。
そして、「天暗の星」へ繋がるショートストーリーです。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 野村重太郎が、犬山梅岳の召還命令を受けたのは、梅雨が明け切ろうとした頃だった。
 梅岳は、藩主・栄生利永から信任を得て、藩内に絶大な権力を築いている首席家老である。悪評もあるが、軽輩の身から才覚一つで成り上がった苦労人である。敵には容赦ないが、降伏してきた者には寛容で、能力さえあれば出自を問わず重用する。かつて梅岳を潰そうと、その前に立ちはだかった門閥武士達も、利用価値があると見て派閥の中核に取り込んでいた。
 その派閥に、重太郎は加わっている。それは父の代からの事であるが、さりとて梅岳の為に働いた事は一度とて無い。

(加増の沙汰かな……)

 裃姿の重太郎は、そう思いながら梅岳の屋敷を目指して歩いていた。
 喜佐は、突然の呼び出しに浮かない顔をしていた。

「案ずるな。風向きは良いのだ」

 そう言ってみせたが、重太郎にも不安がないわけではない。何せ、あの梅岳の呼び出しなのだ。
 ただ、風向きが良いというのは嘘ではない。浪人三人を斬ってからというものの、重太郎の名声は格段と高まった。道場には入門希望者は殺到し、祭祀奉行・久里浜藤平《くりはま とうへい》からはお褒めの言葉と、

「いずれは加増もありえる」

 と、内示を受けたのだ。今回の呼び出しも、その話かもしれない。
 梅岳の家老屋敷は、夜須城二の丸にある。門前で訪ないを入れようとすると、屋敷が俄かに騒がしくなった。
 誰かが出てくる。重太郎は慌てて脇に寄った。
 逞しい男だった。猪首で、顎は張っている。それでも武骨な印象はなく、見送りに対して鷹揚に笑む顔には、気品すら感じる。

(奥寺様だ)

 夜須藩中老・奥寺大和。藩内で、今一番勢いがある男である。

(しかし、何故梅岳様の屋敷へ……)

 大和と梅岳の関係は、微妙なものであった。元々は梅岳に従っていたが、中老になるとその施策に異を唱えはじめ、その周りには梅岳を良く思わない人間が集まっているという。犬山派に対して、奥寺派とも呼ばれつつある。
 そうした関係にある二人が、何故とも思うが、藩の執政府には、考えも及ばない事情があるのだろう。
 暫くして、執事と名乗る老人に中へ導かれた。
 鏡のように、拭き上げられた長い廊下を歩く。中庭では、幼さが残る青年が木剣を振っていた。

「格之助様でございます」

 と、眺める重太郎に言った。

「あの方が……」

 犬山格之助。利永の庶子で、四男。犬山家に養子に出され、その嫡男となっている。梅岳には実子がいたが、わざわざ廃嫡してまで、格之助を迎えている。そこには、様々な憶測と噂がある。中でも一番は、格之助は梅岳の実子ではないか? というものだ。格之助の母は、側室にもなれない低い身分だった。故に藩主家に入る事が認められず、梅岳が養子として引き取ったのだが、この女を引き合わせたのが梅岳であり、元は犬山家の下女、そして妾《そばめ》であった。その真偽は判らないが、実《まこと》しやかに語られている。

「お連れしました」

 執事がそう言い、重太郎は部屋に入った。
 梅岳は柱に背を預け、縁側で庭を眺めていた。

「祭祀奉行与力、野村重太郎でございます」
「おう」

 梅岳は振り向きもせずに言った。

「野村角兵衛の倅か」
「はっ、長子でございます」
「穂波で浪人を三人も始末したと聞いた」
「……」
「中々の腕前だ」
「いえ、紙一重でございました」

 喜佐が加勢した事については言わなかった。それは喜佐が言い出した事で、自分もそれに従う事にした。女に助けられたと知れたら、高まりつつある剣名が地に落ちてしまう。

「ふむ。所でだ。そこで奥寺大和に会ったろう?」
「えっ?……ええ」
「この儂に、小竹宿《こたけじゅく》をどうにかしろと言って来おった」

 と、梅岳は顔だけをこちらに向けた。胡麻塩頭に、皺が深い。もう中々の歳だ。

「小竹宿でございますか。確か、今浪人が巣食っているという」
「そうじゃ。このまま看過するなら、御手先役の出馬を殿にお願いするとな」

 御手先役という名に、重太郎の全身に緊張が走った。藩主家直属の刺客。その存在は一般には知られていないが、凄腕の剣を使うという。また、その名は藩士の間で周知されているものの、誰が御手先役なのかは不明であり、それがまた不気味だった。

「御手先役がな、あの奥寺と近しい関係にある。儂と奥寺の関係は存じておろう?」
「はい」
「ふむ。なら話は早いの。御手先役が出馬し、小竹宿の騒擾を治められると、儂としては困るのじゃ」
「……」
「相手は六名。一人でとは言わん。お前が中心となり、その浪人を斬れ」

 断れるはずもない。藩を実質支配している男の命令なのだ。今回は加勢もある。三対一に比べれば、だいぶマシというもの。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて、重太郎は平伏した。

「もし見事討伐を成し遂げれば、恩賞は思いのままじゃ。それと、儂の右腕にもなってもらおうかのう」

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