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筑前筑後通信(186)新作の第一回を公開の巻

※185以前の通信は下記リンクで!
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こんばんは筑前筑後です。
久し振りに「月京~」を(なろうの方で)更新しました。今回の視点者は月京です。さてさて、どうなりますやら。
カクヨムではもう少しお待ちください!

さて、表題。
公募用にするか未定ですが、今書いている作品の第一回目をを公開します。文章って、人に読まれないと腐りますので(笑)
タイトルは「黒潮(こくちょう)」にしようかと思いますが、どうなりましょうか。何故、黒潮なのか?福岡県民なら正解するかな

では、ご覧ください。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「黒潮(こくちょう)」

第一回 千里楼

◆◇◆◇◆◇◆◇

 千里楼。
 そう記された看板が、春雨に濡れていた。
 浅草今戸町にある料理茶屋。食通が言うには、一度は行ってみたい分限者御用達の名店との事だった。最近出回っている番付にも、名前が載っているという。
 傘を閉じ、門を潜る。その時、遠くで暮れ六つを告げる鐘が鳴った。
 約束の刻限には、何とか間に合う事が出来たようだ。
 出迎えたのは、草履番の老爺だった。笑顔ではあるが、目の奥には言い知れぬ険を大楽は感じ取った。全くの素人ではなさそうだが、こうした者ではないと、名店の草履番は務まらないのだろう。

「萩尾大楽」

 と、老爺に名を告げた。すると、老爺は深々と頭を下げ奥に引っ込んだ。
 奥から女が現れた。女中の風格ではない。この店の女将だろう。大年増だが、色白で着物越しでも判るふくよかな体型が、男を誘う色香を醸し出している。

「お待ちでございますよ」

 女将はそう言って、付いて来るように促した。
 長い廊下だった。方々から客の声が漏れ聞こえるが、下卑た声ではない。店も上品なら、客も上品なのだ。
 奥の離れ。部屋の前には、若い武士が二人控えていた。女将が、武士に目配せする。武士は頷き、

「お越しになられました」

 と、女将は襖越しに言った。
 襖が空く。眩い光りに、大楽は目を細めた。
 男がいた。小太りで、白髪交じりの男だった。一人で酒を飲んでいたようだ。護衛は二人。男の背後に座している。
 男が笑んで、大楽を奥へ迎え入れた。
「さぁ、座ってくだされ」
 そう男に促され、大楽は対面の席に座った。
 始めて見る顔だった。小太りで色白。それでいて、狡猾な目をしている。一見して鷹揚と見えるのは、そう演じているからだろう。典型的な政治権力者の顔だと、大楽は思った。

「突然お呼びたてして申し訳ない。私は早良藩江戸家老の権藤次郎兵衛という」

 大楽は顔を歪めた。早良藩。それは、十三年前に棄てた故郷の名前だった。

「君とは初対面だが、私は君の父上も叔父上も、そして御舎弟も知っている」
「卑怯だな」

 呟くように言った。

「とんだ卑怯野郎だ」

 二度言った。すると護衛の二人が血相を変えたが、権藤は笑ってそれを止めた。

「おいおい、お前達。この方がどなたか知っているのか。あの萩尾一族の嫡男だった御方だよ。藩主家御一門筆頭のね。本来なら、お前達は仰ぎ見なければならないお方だよ」
「また、古い話を」
「だからお前達は、このお方が不遜な物言いをしても決して怒っては駄目だぞ」

 大楽は鼻を鳴らし、ここへ来た事を後悔した。

「仕事の話じゃないのかよ」
「まぁ」

 仕事の話。そうした名目で呼び出されたのだ。しかも、呼び出した時の名乗りは、東北の某藩と称している。

「いや、大変申し訳ない。嘘でも吐かねば、君は来てくれないからな」
「当たり前だ」

 谷中に、町道場を開いている。萩尾流萩尾道場。何の捻りもない名前の道場だ。そこでは、剣術の稽古をしているわけではない。入門希望者が来ても、大抵は叩き返している。道場は言わば屋号で、売っているのは、自分と門下生の腕。つまり、用心棒を派遣する商売なのだ。

「だがね、それでも仕事に繋がるかもしれん話だよ」
「ほう」
「聞く価値はある」

 権藤が銚子を差し出す。大楽は権藤を見据えたまま、自分の銚子を手に取って猪口に酒を満たした。

「言ってみろ」
「流石は商売人だ。谷中では良い顔だそうじゃないか。裏でも名が知れている」

 大楽は舌打ちをした。不快な男だ。用件が済めば、さっさとおさらばしたい。

「君の弟さんだが」
「主計の事か」

 権藤が頷いて、猪口を口に運んだ。

「早良で、かなり無理をしているそうだよ」
「へぇ」
「藩内の膿を出そうとしているそうだがね。若さ故か、少々性急でね」
「昔から生真面目な男だった」
「ええ。それでいて、前途有望な若者でもある。それだけに、ここで躓いてもらっては困るのだ」
「まぁ、そうだろうな」

 俺は煙草盆を引き寄せた。
 権藤が頷くのを確認し、懐から煙管を取り出した。堺屋儀平が手掛けた、木目が揃った高級品である。煙管に限らず、物に拘るようになったのは、三十を越えてからだった。

「だが、失敗する事も大事だ。躓き、倒れる。そして、立ち上がる。それを繰り返す事で、人は成長する。そう思わないかね」
「ああ」
「失敗から学ぶのは、若者の特権だ」
「で?」

 大楽は、煙を吐いた。権藤が微かに眉を顰めた。許可はしたが、煙草の煙が苦手なのか。

「主計殿が、仮に君に助勢を頼んでも断っていただきたい」
「何故?」
「もし君が加われば、主計殿の為にならない。きっとこれからも、君を頼るようになるだろうしな」
「そもそも、萩尾家は藩政に関わらない。それが藩法じゃなかったのか」

 早良藩主・渋川氏の御一門筆頭である萩尾家は、室見郡に十七村八千石という大領を有している事を引き換えに、藩政に介入してはならないという法度がある。萩尾家が発言を許されるのは、御家が存亡の危機に瀕した時だけだ。

「ふむ。そうなのだがねぇ」

 と、権藤は腕を組んだ。

「確固たる証拠がない、という事か」
「主計殿も、中々の知恵者でね」
「……臭いな」

 大楽は、煙管の雁首を叩いて、煙草盆に灰を落とした。
 政争の臭いがする。権藤は、執政・宍戸川多聞の派閥に属している。とすると、主計は宍戸川と争っているのか。
 宍戸川は、長く藩政を牛耳っている怪物である。大楽が出奔する前も、この男は執政の座に君臨していた。

(やるじゃねぇか)

 主計は、控え目で優しい男だった。生真面目な所はあるが、昔はよく泣いていた。そんな男が宍戸川に噛みつく。見上げた根性ではないか。

「それで、私は君の答えが聞きたいのだが」
「俺は家と藩を棄てた身だぜ?」
「だが、君は萩尾姓を名乗っている」
「他に適当な姓が思いつかないだけさ。それに今更戻れるはずがねぇ」
「脱藩の罪は既に許されているはずだよ。まぁ、君は帰参しないがな」

 大楽は無言で、猪口に手を伸ばした。流石は、有名な料理茶屋。酒が甘露だ。料理も旨そうだが、箸に手を伸ばす気が起きない。

「何なら、君に家督を譲らせてもいい。主計殿ではこの先不安でもある」
「おい、権藤さん」

 大楽は猪口を置いて言った。

「俺は藩を棄てたと言ったろう。家も棄てた。だから、弟が何を言っても請け合うつもりはない」
「それでいい。それが、身の為だよ」

 大楽は鼻を鳴らして立ち上がった。踵を返して背を向けると、権藤が笑い声を挙げる。

「噂通りだな」
「何が?」
「君は優しい男だと聞いた。十三年前に出奔も、弟に家督を譲る為なのだろう? その方が萩尾家は安泰だと。だが今回は、そんな気遣いは無用で願いたいね」

◆◇◆◇◆◇◆◇

「よう」

 店を出ようとすると、声を掛けられた。
 振り向くと、目つきの悪い神経質そうな男が立っていた。黒っぽい羽織袴を、折り目正しく着こなしている。
 乃美忠之助。いや、今は乃美蔵主か。
 かつて藩校に共に通い、悪い事も含め共に遊んだ友である。かなりの切れ者で、高い家格を利用して、順調に出世していると風の噂で聞いた事がある。
 他にも数名の武士がいた。乃美以外、知らない顔だ。十三年という時間は、それほど大きなものなのか。
 乃美とは話をしたいと思ったが、ここで話すのを躊躇わせる雰囲気が、彼らにはあった。おそらく、権藤の付き添いなのだろう。すると、乃美は宍戸川の派閥に加わったという事なのか。
 大楽は乃美を一瞥して、外に出た。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 まだ、雨が降っている。
 細かい雨だ。大楽はこれぐらいならばと、傘を差さずに帰ることにした。
 夜道を歩きながら、大楽は強い後悔を覚えた。
 十三年前。一人の男を斬って、早良藩を出奔した。後にその罪は許されたが、帰参せずに浪人になった。

(もう俺には関係ない)

 そう思うのは、あの時に萩尾文吾の名と共に全てを棄てたからだ。また、自分が出奔する事で、主計が家督を継いだ。そうなる事も狙った。それが萩尾家の為に、最も善い選択だと考えたからでもある。

(なのに、主計の野郎め……)

 聞きたくはなかった。聞けば、主計が気になってしまう。
 甘い。大楽は自嘲した。全てを棄てたと思っても、口ほどには乾いていないという事か。
 それと同時に、権藤への腹立たしさも湧き上がっていた。
 主計の苦境を伝えて、何を狙っているのか。きっと、目的は他にもある。主計の依頼を断れという忠告以外にも、何かがあるはずだ。
 尾行。それを感じたのは、下谷坂本町の筋を歩いている時だった。
 仕事柄、敵は多い。命を狙われた事も一度や二度ではない。

(権藤の野郎か)

 そう思えてしまうほど、今夜は虫の居所が悪い。
 大楽は尾行の気配を感じながら、筋を逸れて要伝寺の方へ曲がった。
 この辺りは百姓地が広がり、人家は疎らである。

(気に食わねぇ……)

 尾行するのは好きだが、されるのは嫌いである。
 大楽は、意を決して振り向いた。だが、そこに、追跡者の姿は無い。姿こそ無いが、気配は確実にある。
 きっと、相手は玄人だ。闇で働く事を生業にした。そこらの人間が出来る芸当ではない。
 大楽は鼻を鳴らし、踵を返した。

(面倒な事になりそうだ)

 大楽は腰に帯びた月山堯顕の重みを意識し、再び歩き出した。

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