バレンタインデーからは一週間ほどズレましたが、まあ気分はまだチョコレート週間ということでお許しください。
時系列としては第一章終了時の外伝部分に当たります(本当は外伝に入って幾話かやってから掲載したかったのですが、諸般の事情でまだその外伝には入っていません。ご了承くださいませ)。
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「あら? スーシーも……チョコレート作りかしら?」
そう言いながら、イナカーンの街にある孤児院の調理場に入ってきたのは、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルだった。
すでに昼は過ぎていて、聖女ティナはというと、この街に来てから日課にしている法術での施療を終わらせて、アイテム袋に何やら食材を大量に押し込んでやって来た。
本当は泊っている宿の調理場を借りたかったのだが、何せ小さな街なのでその宿は昼には飯屋になって繁盛していることもあって、さすがに聖女ティナも「貸してください」とは言い出せなかった……
「チョコレート作り? 違うわよ。今は子供たちのお夕飯の仕込みをやっているの」
「おじ様ではなく……貴女がわざわざ?」
「そうよ。そもそも、義父《とう》さんは『初心者の森』で野獣を倒しているはずだわ。子供たちの食材を取ってくる為にね。それに食事当番の年長組の子もいるけど、今は私が街に滞在しているから代わりにやってあげているってわけ」
神聖騎士団長ことスーシー・フォーサイトの言葉に、聖女ティナは「ふうん」と生返事した。
道理で街にリンム・ゼロガードがいなかったわけだ。これまた本当ならリンムに手取り足取り教わりながらチョコレート作りをしたかった。最後にティナ自身にリボンでも付けて、「私も食べていいのですよ」と締め括れば最高の日になるかなと考えていたが……早々にその計画は破綻してしまった。
「仕方ありませんわ。ねえ、スーシー。この調理場を借りていいかしら?」
「別に構わないけど……司祭のマリア様には確認を取ったの?」
「もちろんよ」
「なら、私に許可を得る必要はないわ。まあ、手伝えってことなら考えさせてもらうけど」
そんなつれない答えに聖女ティナは「むう」と両頬を膨らませた。
そもそも、ティナは貴族の子女だけあって一度として調理場に立ったことがない。女騎士スーシーはこの孤児院で育ったから食事当番もこなしてきたが、ティナは包丁の使い方すら知らない。
もっとも、今回そんなティナには頼れる味方がいた――ダークエルフの錬成士チャルだ。
「では、お願いします。チャル先生《・・》」
「うむ。任せよ。チョコレートなぞ、簡単に錬成《・・》してやる」
ちなみに、ダークエルフのチャルはお金で雇われたに過ぎない。
放屁商会と接触しようとイナカーンの街に来てからこっち、肝心のハーフリングたちが見つからないこともあって仕方なく暇を潰していた。そんなときに聖女ティナが頼ってきたので「やれやれ」と付き合ってあげただけだ。
ついでに捕捉すると、意外なことにこの大陸ではバレンタインデーとチョコレートのイベントは普及している。
その由来となった聖職者ウァレンティヌスなどの伝承自体は失われて久しいのだが、本土《・・》の|とある《・・・》権力者がその日に恋人にチョコを渡して成功したことで一般にも広がっていって、この大陸に入植した冒険者からその話が伝わって受容された格好だ。
もちろん、ダークエルフのチャルは本土出身なので、バレンタインのことはきちんと知っている。
「さて、それでは作りましょうか」
そんなこんなで聖女ティナはアイテム袋から食材を放り出した。
とはいえ、市販のカカオ豆、バターや砂糖などと一緒に、なぜか野獣の血の瓶詰めが調理台に並んだ。当然のことながら、それをちらりと横目で見た女騎士スーシーは「ぎょっ」とした。
「ええと……ティナ?」
「何ですか?」
「作るのはチョコレートでいいのよね?」
「そうですわ」
「じゃあ、その血は……いったい何なの?」
すると、聖女ティナはダークエルフのチャルに視線をやった。当のチャルはというと、いかにもつまらない質問だとばかりに斬って捨てた。
「チョコレートと言えば、血反吐だろう」
「…………」
「本当ならばゴライアス様の血反吐が欲しかったのだが仕方あるまい。この大陸ではおいそれとは手に入れられないからな」
ゴライアス様って誰? とは女騎士スーシーは口に出さなかった。
とはいえ、このときからスーシーの悪戦苦闘が始まった。敬愛する義父に血塗れのチョコを食べさせるわけにはさすがにいかない……
「では、ティナよ。いいか。これより錬成を始める」
「はい!」
ダークエルフのチャルはヤモリの尻尾、イモリの涙にコウモリの糞を取り出してきた。
女騎士スーシーはさらに両目をひん剥いた。どうやら貴族子女の聖女ティナは調理とは錬成であると思い込んでいるらしい……
まあ、たしかに出来上がりしか目にしたことがないだろうから仕方ないといえばそうなのだが……はてさて、すぐ横の調理場でスーシーが仕込みをしているのを見て、何とも感じないものだろうか。
「まず錬成で大事なのは、魔法陣を的確に描くことだ」
「ええと……魔術は専門外ですが、法術はたくさん学んできましたので自信があります」
「うむ。その点は心強いな。そもそも、バレンタインデーに渡すチョコレートで大事なのは、いかに相手に気づかせずに精神異常の『魅了』をかけられるかどうかにある」
「なるほど。チョコレートとは一種の兵器なわけですね?」
「その通りだ。このチョコを渡す相手はリンムなのだろう?」
「はい。もちろんです」
「ならば、リンムの精神異常耐性を貫通してノックアウトするほどの強力な呪詛を仕込まなくてはいけない。この場合、味は二の次だな」
そんな馬鹿な、と女騎士スーシーは頭を抱えかけた。
だが、スーシーはまだ何も言い出さなかった。もしかしたら、この大陸に伝えられているバレンタインチョコと本土のモノとは異なるのかもしれない……
下手に指摘をして、「何だ、本当のバレンタインを知らないのだな」とダークエルフのチャルに鼻で笑われて、さらに聖女ティナに「スーシーってお子ちゃまなんだから」と嘲笑されるのだけは避けたい。
「味は二の次なのですか?」
「当然だ。リンムは相当に鈍い奴だからな。おかげで高い精神異常耐性を持っている。ちょっとやそっとの『魅了』は話にならないぞ」
「しかしながら……私としては甘々なチョコレートをおじ様にお渡ししたいのです」
「喝っ!」
ダークエルフのチャルは怒鳴った。
「聖女ティナよ。チョコレートがなぜ黒いか知っているか?」
「…………」
聖女ティナには答えられなかった。
一方で、「それは原料であるカカオ豆の成分のせいだ」と、女騎士スーシーは横合いから口を挟みたかったが、それよりも早くダークエルフのチャルは言ってのけた。
「それは――バレンタインデーのドス黒くて邪《よこしま》な感情がチョコレートを暗黒に染めるのだ」
「なるほど! 呪詛のせいだったのですね!」
違う! と、女騎士スーシーは叫びたかったが、少なくとも錬成士としてのチャルの腕は認めていたので、とりあえず事態を見守ろうと今は努めるしかなかった。
「さあ、聖女ティナよ。その思いのたけを術式にして、この魔法陣を邪悪に染めるのだ」
ダークエルフのチャルはカカオ豆などの食材を陣の中心に幾つか置いて、聖女ティナに錬成を勧めた。そのティナはというと、両手を胸の前で組んでから慣れない呪詛を謡った。
「エロエロエッサイム、エロエロエッサイム――私は求め、訴えたり!」
直後、ぼふん、という怪しげな音と共に。
魔法陣に歪《いびつ》なハート形のチョコレートが現れ出た。ダークエルフのチャルはすぐさま聖女ティナに瓶詰めの血を渡す。
「さあ、あとはこれをかけるだけだ。きれいなピンク色になるだろう」
そ、それはいったい、何の儀式?
と、女騎士スーシーは止めたかったが、喉もとまで出かけた言葉を何とか飲み込んだ。一応、出来上がった|モノ《・・》はきちんとチョコレートになっていたからだ。
ただ、初めての調理《・・》にはしゃいでいる聖女ティナを横目に、スーシーは一応、アドバイスをしてあげた。
「ねえ、ティナ。当然、試食はするんだよね?」
「なぜ?」
「な、なぜって……普通は料理が出来上がったら味見をするものよ」
「ふうん。そうなの。じゃあ、チャルさん?」
と、聖女ティナが目を向けた隙に、ダークエルフのチャルは「そうだ。用事を思い出した」と言って、すたこらさっさしてしまった。女騎士スーシーも、ティナも、目が点になったわけだが、
「仕方ありません。それでは、冒険者ギルドにでも依頼《クエスト》を出しましょうか」
貴女は喰わないんかい、と女騎士スーシーはツッコミを入れたかったが……
何にせよ、スーシーは「ほっ」とした。少なくとも孤児院の子供たちが犠牲になることは避けられたからだ。むしろ、料理当番の年長組の子が畑仕事に行ってくれて本当に助かったと安堵したほどだ。
そんなこんなで半時ほど経って、意外な人物たちが孤児院の調理場に集まった。D級冒険者のスグデス・ヤーナヤーツとフン・ゴールデンフィッシュの二人組《コンビ》だ。いかにも悪党だった二人だが、『初心者の森』での事件以降、今では心を入れ替えたようにして身を粉にして街の為に努めている。
その二人がリンムよりも先に野獣狩りを終えて戻って、冒険者ギルドの掲示板を見てやって来てくれたようだ。もっとも、スグデスは差し出された歪なハート型のチョコレートを見るなり、
「なあ、聖女様よお。これ……本当に食べられるんだよな?」
「何か、ゲスデスの靴下の臭いがするっスよ」
「つうか、オレとしては大蜥蜴の血生臭さの方が気になるぜ」
キャリアのある冒険者だけに危険をすぐに悟ったのはさすがだが……
冒険者ギルドを通しての正式な依頼、しかも法国の第七聖女からのものとあって、残念ながら二人に拒否権は一切なかった。
「じゃあ、まあ、何かあったら法術で回復してくれると見込んでよお――」
「いただきますっス」
「あーん」
「もぐっス」
「うっ!」
「ほげえええええっス」
こうして二人の血反吐が調理場に溢れた……
状態異常の『即死』が発動したのだ。突き詰めた愛とは、恋人に死まで要求するものなのかと女騎士スーシーは「やれやれ」と片手を額にやったわけだが、何はともあれリンムがこんな目に合わなかったことで息をつくしかなかった。
もちろん、スグデスたち二人は『蘇生《リザレクション》』をかけてもらったわけだが、何にせよその日、野獣狩りから帰ってきたリンムが子供たちと食卓を共にして、開口一番――
「今日の食事当番はたしかスーシーだったよな? 腕でもなまったか? 何だか味がちぐはぐな感じがするぞ?」
と、鋭い指摘をしてきた。
当然のことながら、最終決戦兵器《チョコレート》造りを横目で見ながら仕込みに集中出来なかったこともあって、女騎士スーシーとしては反省しきりだったし、また聖女ティナはというと、来年こそはきちんと錬成《・・》したいと意気込みを新たにしたのだった。
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お読みいただきありがとうございました。作中にある「本土のとある権力者がその日に恋人にチョコを渡して成功した」というくだりは、『トマト畑』の限定SS「血反吐のバレンタイン」のエピソードに当たります。
次回の限定SSは三月中で、『トマト畑』が「支配からの卒業」、『おっさん』が「真・裸になる」を予定しています。