何となく思い立って、連載中の『おにぎりの白熊堂』の番外編を書いてみました。
現在はあざらし君こと海豹丙吾くんの視点で進行していますが、その内、白熊さん視点で過去編やりたいなと思っていて、その練習もちょっと兼ねています。
『おにぎりの白熊堂』
https://kakuyomu.jp/works/16818093073716926749◆◆◆
午前六時、いつも通りラジオをつけた。
この時間はラジオの英語講座が放送されていて、『おにぎりの白熊堂』の店内では、音楽の代わりに英語が流れる。お祖母ちゃんが若い時から続いている習慣で、俺が継いでからもそれは変わっていない。
まずは放送を流し聴いて、後で暇な時に、テキストを見ながらアプリでアーカイブを聴いている。
お祖母ちゃんの時はカセットで録音して聴き直していたから、俺のやり方を知ると、便利になったわねえと言って、すぐに自分のスマホにアプリを入れていたっけ。
いつも楽しそうに、流れる英語を復唱していたお祖母ちゃん。そんなお祖母ちゃんはもう、ここにはいない。
ふとした時に淋しくなることもあるけれど、大丈夫、俺には店があるし、英語がある。何より──白熊がいる。
お祖母ちゃんが昔から好きで集めていた白熊達。そのほとんどを譲ってもらい、至る所に配置している。
ショーケースの上に飾った白熊五体の丸い手をちょんちょんと、人差し指で触っていくと──誰か入ってきた。
「いらっ……ベルーガ」
「はよ」
灰色のスカジャンに剃り上げた頭、そして鋭い三白眼と、おっかいない見掛けをしているけれど、うぶな所もある俺の幼馴染み、斑鳩鈴鹿。
彼は手短に挨拶を口にすると、真っ直ぐバックヤードに向かっていく。勝手知ったる我が家なんて、ベルーガの為にある言葉だね。
「朝から煙草? おじさんがまた何か言うんじゃない?」
「仕方ねえだろ、ヤニ入れないと稼働しない身体になっちまったんだから」
「開き直ってる」
「お前だって吸うくせに」
「俺はいいんだよ、誰にも何も言われないんだから」
「……いつもの、用意しとけ。金はある」
伏し目がちにそう言うと、ベルーガはバックヤードの中に入っていった。気にしなくていいのに。
この建物には屋上があって、俺とベルーガはそこで煙草を吸っている。もしもうちがなかったら、ベルーガはどこで煙草を吸うんだろうな。
「……なんか、ベルーガが言うとさ、違法行為の取引みたいに聴こえるよね、今の」
可愛い白熊達に話し掛けてみるけれど、返事はない。いつものことだ。
一体ずつ頭を撫でてあげてから、出入口を眺める。タイミング良くお客さんが入ってくる所だった。常連の方だ。
俺よりちょっと歳上に見える、スーツ姿のご婦人。いつもツナマヨを三個買ってくれるから、彼女が口を開く前に袋を取り出して準備する。
「あの」
いつもは特に会話がないけれど、今日はそんな気分だったのか、彼女の方から話し掛けてきた。
「何でしょうか」
ツナマヨに伸ばしていた手を引っ込めながら返事をする。違うやつを注文したいのかもしれない。
予想は外れた。
「──左目、見えにくくないですか?」
「……ああ、そうですね」
俺は左目を、前髪を伸ばして隠している。
そこにあるものは、軽々しく人目に晒してはいけないと、ベルーガや他の人に言われたから、そうしていた。
「いきなりすみません。実は私、友人の美容師から、美容院の割引券もらったんですけど、そこ、男性限定のお店なんですよ。自分では行けないから、他の方にお譲りしようと思って、その、貴方のことを思い出して」
「そうなんですか、ありがとうございます。ただ、すみませんが俺、髪を他人に切ってもらうの、身内から許されていないんですよ」
「え?」
「なので、割引券は他の方に譲ってあげてください」
彼女は口を何度も開けたり閉めたりした後に、顔を赤くして、そうですかいきなりごめんなさいと早口に言うと、おにぎりも買わずに出ていってしまった。
何か、悪いことしたかな?
白熊達を見たら、可愛く見つめ返してくるだけだった。
「……まあ、いいか」
そろそろベルーガが下りてくる頃だ。味噌汁の用意もしないと。ベルーガは朝の煙草の後にはいつもそれを飲んでいるんだ。
小さく刻んだ玉ねぎの味噌汁。お祖母ちゃんの大好きな味噌汁。飲んだ人は皆笑顔になってくれる。
流したままのラジオからも『みそしる』なんて単語が聴こえてきて、やっぱり皆好きだよねと思いながら、紙コップに注ぐと、ベルーガが戻ってくるのを待った。