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加藤絵梨は帰りたい ―『チェンジ』の一言から始まる異世界生活―①

 私の名前は加藤絵梨(二十一歳)。
 普段、私は職場のある虎ノ門で貿易事務の仕事をしている。
 最近、某感染症やどこぞの国が始めた戦争のお陰で、今、貿易事務は大忙し。
 休みは取れず、休日返上のデスマーチ。
 ようやく取れた久しぶりの休日、私は日本橋にある有名な鰻屋さんで鰻重の注文を待っていた。
 室内に広がる甘辛たれのいい匂い。鰻を焼くバチバチとした音。
 鰻重が目の前に提供されるのが待ち遠しい。
 この鰻屋さんの鰻重は一日十食の予約制。
 間違いなく旨い。まだ口にしてないけど、私の鼻腔をくすぐる鰻の香ばしい匂いがそれを教えてくれる。
 この日の為に、私はわざわざ朝食を抜いてきたのだ。
 早く鰻重を口にしたい。早く鰻重を口にしたい。
 一日千秋の想いを胸に抱き、椅子に座って鰻重が配膳されてくるのを今か今かと待っていると、どこからともなく、突然、声が聞こえてきた。

『……ああ、ようやくだ。ようやく元の世界に帰ることができる』

「えっ?」

 なんだろう、今、声が聞こえたような……。
 まあ、どうでもいいか。
 今は……。

「お待たせしました。鰻重(葵)です」
「うわぁあ――!」

 店に入って待つこと二十分。
 目の前に置かれた一日十食限定、一食六千円の鰻重(葵)。
 鼻腔をくすぐる鰻の香ばしい匂い。食欲を刺激するタレの甘い香り。
 ああ、私は、今、この瞬間、鰻重を食べる為に生きてきた。
 ポケットに入れたスマートフォンを手に取り、鰻重(葵)をカメラに収めた私は、目を閉じ、両手を合わせ「頂きます」と呟くと、箸を割り目を爛々と輝かせる。
 そして、いざ鰻重に箸を付けようとした瞬間、またもや声が聞こえてきた。

『ああ、鰻重まで用意してくれて……ありがとう。ありがとう。お礼にこっちの世界で苦労しないよう俺が持つスキルを置いていくね。それじゃあ、早速「チェンジ」』

 そう声が響いた瞬間、目の前の景色が移り変わる。
 気が付くと私の目の前には、見渡す限りの荒野が広がっていた。

 ◇◆◇

 見渡す限りの荒野に広い空。
 私こと、加藤絵梨は座るのに丁度いいサイズの岩に座りながら酷く困惑していた。というより――

「私の、私の鰻重……。一日限定十食の私の鰻重(葵)はぁあああっ!?」

 ――と、一日限定十食の鰻重(葵)を食べ逃したことに対して激しく憤慨していた。

 指に力を入れ、持っていた箸を思い切り割ると地面に向かって叩き付ける。
 すると、地面になにかバッグのような物が置かれていることに気付く。

「はあっはあっはあっ……。一体なにが起こったのっ!? なにこれ……? バッグと手紙?」

 バッグのポケットに入っている手紙。
 手に取って見てみると、どうやら私宛のようだ。
 便箋を開け手紙を広げるとそこには、お礼の言葉が綴られている。
 手紙には、長々とこう書かれていた。

「『突然のことで驚いていると思う。ここは異世界バイリンガル。俺はこの世界にあるリンガルという国に勇者として召喚された者だ。君には悪いと思うが俺はどうしても元の世界に帰りたかった。代わりに君には、この世界でも楽に生きていけるようにと、スキルを封じたスキル玉を残していく。
 P.S.安心してほしい。あなたが用意してくれた鰻重は必ず俺が完食し、飲食店情報サイトに評価とコメントをアップして』……って、ふざけんなぁぁぁぁ!」

 手に持っていた手紙を怒りのままに破り千切る。
 なにを勝手なことを言っているのだろうか。
 最近、転移ものや転生ものアニメばかりやっているし、そのアニメを見る度に異世界に転生または転移したいなとか、ほんの少しだけ考えていたからわかる。
 誰とも知らないこの手紙の主め、人を勝手に異世界バイリンガルとかいう訳の分からない世界に転移させやがった……。
 しかも、私が一ヶ月前から楽しみにしていた一日限定十食の鰻重(葵)に箸を付け様とした瞬間に……。
 こんな非道、絶対に許せないっ!
 どこにぶつけたらいいかわからないヘイトを溜めながら息を荒く吐いていると、破いた手紙が元通りに修復されていくのが目に映る。
 そして、その手紙に光が宿ると、手紙から声が聞こえてきた。
 不思議ミステリー。どうやらここは本当に異世界のようだ。
 少なくとも、元の世界の手紙は、破れる前に戻ることはないし、光り輝き声を発する機能もない。

『やあ、初めまして、俺の名は渡邉悠太。真心込めて書いた手紙……読んでくれたかな?』

 通常ではありえない現象に、私は一歩後退る。
 そして、息を整えるとゆっくりとした口調で手紙に向かって話しかけた。

「……あなたがこの手紙の主ね。私をこんな場所に連れて来てどういうつもりよ!」

 そう返答すると、手紙からモグモグとなにかを食べる咀嚼音が聞こえてくる。

『……久しぶりに食べる鰻重って本当に美味しいね』

 そう言われた瞬間、私の身体が勝手に動き、いつの間にか手紙を握り潰していた。自分でも底冷えるような声が口から勝手に流れ出てくる。

「――おい。誰に断ってその鰻重食べてんの?」

 そう怨嗟の声を上げると、私をこの異世界バイリンガルに『チェンジ』させた張本人である渡邉悠太が「ひぃっ!」と声を上げた。
 もうこれは戦争だ。戦争しかないだろう……。
 なにせ、私が一ヶ月間、心待ちにした一日限定十食の鰻重(葵)を食べながら、こいつは私と会話をしているのだ。それだけでも万死に値する。
 食べ物の恨みは恐ろしい。私が一ヶ月も前から楽しみにしていた鰻重となれば尚更だ。
 目に紅いハイライトを灯しながらそう言うと、私の鰻重を美味しく食べる渡邉悠太が箸を置き言い訳をしようとするのが音でわかる。

『ま、待ってくれ! 君を怒らせるつもりはなかった。仕方がなかったんだ! 食事を出されたら温かい内に食べるのがマナーだろう!?』
「そうね。あなたの言う通りだわ……。まあ、今、あなたが食べている鰻重は私が一ヶ月前から楽しみにしていたものだけれどもね……」

 私を異世界に連れて来て、楽しみにしていた鰻重を食べておいて、なにを訳の分からない言い訳しているのだろうか。すると渡邉悠太が更なる言い訳を始めた。

『ち、違うんだっ! 俺は元の世界に戻りたい一心で……』
「その一心で、私とあなたの位置を変え元の世界に戻った訳ですかぁ……あー素晴らしいです。感動しました。もちろん、当事者である私は憤慨している訳ではありますが……」

 そう告げると、渡邉悠太は自分がいかに大変な思いをしていたかを語ってくる。

『あ、あんたはそう言うかも知れないけどなっ! こっちは大変だったんだよっ! 勇者だからといって、そんな可愛くないお姫様と結婚しろと迫られるし、断れば牢に幽閉されるしっ! 魔王軍とも戦わされた! 他国の軍ともだっ! その苦労を考えれば、目の前に置かれた鰻重を食べる位いいだろっ!」

 渡邉悠太の思いはよくわかった。
 その上で言わせてもらう。

「いや、知らんがな……」

 渡邉悠太が大変であったことは大変よくわかった。頑張った。感動した。
 でも、そんなこと、私には関係ない。
 そう返事をすると、渡邉悠太が唸り声を上げる。
 まるで、こっちの苦労も知らず偉そうにといった唸り方だ。

『と、とにかく、今は時間がない。必要事項だけ伝えるから、鰻重のことは置いておこう! まずは「ステータスオープン」と言ってみてくれ!』
「はあ? 『ステータスオープン』?」

 思わず『ステータスオープン』と復唱すると、目の前に半透明のDOS画面が表示される。
 その半透明のDOS画面には、私の名前と年齢、レベルやスキルが表示されていた。

 ◆――――――――――――――――――◆
【名 前】 加藤絵梨 【性 別】 女
【年 齢】 21歳  【種 族】 人族
【レベル】‌ 1
【スキル】 なし
【ステータス】体力値:100/100
       魔力値:100/100
       攻撃力:10
       防御力:10
       精神力:20
       抵抗力:20
       運命力:10
 ◆――――――――――――――――――◆

「な、なにこれ……」

 目の前に突然現れたDOS画面に目を白黒させていると、現在進行形で鰻重をもりもり食べる渡邉悠太が思い返すかのように呟く。

『ああ、それは今の君の状態をわかりやすく表示したステータス画面。ゲームで見たことない? あれと同じ感じなんだけど……』

 見たことはある。主にDから始まるクエストや、Fから始まるファンタジーで……。
 しかし、あれはゲームをする側がキャラクターの今のステータスを把握する為のもので……。
 目の前に現れたステータス画面に困惑していると、渡邉悠太はしみじみと思い返すかのように語る。

『自分のステータスを見て困惑するのはよくわかる。俺も初めて王宮に召喚され、王様に「ステータスオープンと言ってみよ」と言われた時は困惑したものさ。懐かしいなぁ……。まあ、今、君がいる世界に戻るつもりはまったくないけど……もぐもぐ――』

 そんなことはどうでもいい。
 というより、この男、さりげなく『君がいる世界に戻るつもりはまったくない』とか言いやがった。
 人を巻き込んでおいて……。渡邉悠太。やはりこいつは最悪だ。
 自分が元の世界に帰りたいからって、この私と入れ替わる形でこんな世界に置き去りにした挙句、楽しみにしていた鰻重(葵)を食べながら話しかけてくる点が特に……。
 私が無言でいると、話の続きを待っていると勘違いしたのか渡邉悠太が話を続ける。

『そこにバッグが置いてあるでしょ? 開けてみてよ』

 バッグに視線を向け中に手を入れると、七つの水晶が入っていた。

『バッグの中には、君と入れ替わりでこの世界に転移する前に入手したスキルを封じたスキル玉が入ってる。まずは青いスキル玉から割ってみてよ』
「割る?」
『うん。そうだよ。もぐもぐ――』

 私と会話をしている間もひたすら鰻重を食べ続ける渡邉悠太に憤然とした思いを抱きながら、青色のスキル玉を取り出し、鬱憤を晴らすように地面に叩きつける。
 すると、スキル玉に封じられていた青い靄が私の体に纏わりついた。

「な、なによこれっ!?」

 突然の出来事に驚愕の声を上げると、なにかが私の中に吸収されていく。そんな感覚を覚えた。
 しばらくすると、頭の中に、スキルや魔法の使い方、近隣諸国の情報、死生観など渡邉悠太がこの世界で経験したであろう知識が入り込んでくる。

「これは……」
『驚いた? 驚くよねー。そのスキル玉に封じられていたのは俺が異世界バイリンガルで経験した知識の追憶。どう? その知識があれば結構楽に過ごせると思うんだけどどうかな?』

 渡邉悠太。軽いノリの男だけど結構ハードな日常を送っていたようだ。
 異世界バイリンガル。魔族の王、魔王が実在し、ダンジョンには、ゴブリンを始めとする様々なモンスターが生息している。しかも、周辺諸国はいつ戦争が起こってもおかしくない状態。
 最悪。今の状況を一言で表す言葉があるとしたら『最悪』の一言以外思い付かない。異世界バイリンガルにいた渡邉悠太が、元の世界にいた私と『チェンジ』したようになんとか帰還する方法はないだろうか。

『もしかして、帰りたいとか思ってる? ごめんね。多分、すぐには無理かな? でもスキルを十全に使いこなせるようになれば、俺が君にやったように、いずれ元の世界に帰ることができるようになると思うよ。いずれね。それじゃあ、残り六つのスキル玉を割ってみよう。スキルがないとなにも始まらないからね』

 私の思考を読んだかのように最低なことを言う渡邉悠太。
 なんだこいつ、私に恨みでもあるのだろうか?
 しかし、そう言うならやってやる。いずれスキルを使いこなし、こんな異世界に送り込んだ渡邉悠太。あんたとの入れ替わりで元の世界に戻ってやる。
 私はバッグの中から残りのスキル玉を取り出すと、残らず地面に叩きつけた。
 すると、赤、黄、緑、黒、金、銀の六色の靄が私の体に吸収されていく。

『――それじゃあ、ステータスを見てみよう』

 渡邉悠太に言われるまま、「ステータスオープン」と呟く。
 すると、私の目の前にステータス画面が表示された。

 ◆――――――――――――――――――◆
【名 前】 加藤絵梨 【性 別】 女
【年 齢】 21歳  【種 族】 人族
【レベル】‌ 1
【スキル】  言語理解 聖魔法
       生活魔法
【EXスキル】アイテムボックス(LV1)
       呪禁(LV1)
       チェンジ(LV1)
【ステータス】体力値:100/100
       魔力値:100/100
       攻撃力:10
       防御力:10
       精神力:20
       抵抗力:20
       運命力:10
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