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「僕だけのハッピーエンド」


 「死にたい」

 この言葉に関して皆さんはどのような感情を抱きますか。
 おそらく、何か、死にたいほど嫌なことがあった時に思う言葉だと考える人がほとんどだと思います。
 しかし、この感情が常に自分の何処かに住み着いている人もいます。
 今日は怒られたな、死にたい。
 明日テストか、死にたい。
 明日は朝から早起きだ、死にたい。
 忘れ物した、死にたい。
こんな風に一般的にどうでもいいことでさえ、解決方法が死ぬことしか思いつかないような人もきっといます。馬鹿者かもしれませんね。
 しかし、こんな馬鹿者からすると、この世界の方がおかしいように感じるのです。
 何故、今を生きている全員がこれからも生きたいと思っている前提で進んでいくのか。
 馬鹿者はここに疑問を持ちます。
 そりゃあ常に死にたいと思っている人からすれば、生きたいと思っている人の方が異常者です。
 とは言ったものの、馬鹿者も、本物の馬鹿ではないので、自分が異常者だということはわかっているのでしょう。わかっているからこそ、この世界の中で、死にたいと思い続けることは疲れも伴うのです。
 死にたいと思う度に、自分がおかしい奴だと再認識します。しかし、人の体に根付いた恐怖心というものがあるおかげで、簡単には死ねません。厄介なことですね。
 では、どうしたらこの馬鹿者達は救われるのか。
 そんなことが分かったら今私はこんな文章を綴ってはいないでしょう。

自殺した彼にとってもしかしたらこの話はハッピーエンドかもしれませんね。

 結局何が言いたいのか分からないと思います。私も分かりません。
 まあ、数ミリ程度でも、何か感じて頂ければ嬉しく思います。
 
 

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