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物語を完結させるということ

こんにちは。あまにゆうです。

今回、拙作『悪神の子 放浪記』※の最終話まで投稿し、一区切りついたということで、近況ノートを書かせていただいております。

※アジア風異世界ファンタジー小説です。

もともと『悪神の子 放浪記』は、すでに手元で完結しており、私家版(同人誌)として印刷・製本後、「読んでも良いよ」と言ってくれた知人・友人に渡すなどしていました。
それをWEB版として全58話に分割して投稿したわけです。

文庫本で上下巻、あわせて550頁ほど。
WEBですと2000字~4000字ずつ投稿で、58話。
意外と短いものです。

数百話投稿している方などを見ると、到底私には真似できないなあと思います。

物語には必ず終わりが訪れるものだと思っております。
たとえて言うならば、私が小説を書くときは、一本の木から仏像を彫り出す仏師のように、「物語があるべき形にあるように、頁の中からあるべき文字を彫り出す」イメージで執筆しているからです。ここでいう「あるべき形」とはすなわち「完結」を指します。そして、私にとって「完結」はわりと身近です。

永遠に続く道を、登場人物たちに歩かせるのではなく、かならず終着がある。

もちろん、私が書かないだけで、登場人物たちの人生は続いていくのでしょうが、書かないので分かりません。
スピンオフや、地続きの物語を書くことはあっても、本編は必ず完結を迎えてしまうのです。

それは、大好きなキャラクターたちとの別れでもあります。
そして、併走してくださった読者の皆様との別れでもあります。
(固定ファンがいたら話は別ですが……)

書き手にとって、苦しい別れだと思います。

ですが、私は別れたくないがために、物語を無理に続けさせることができないのです。それは、それが私の執筆力の限界だからであり、すでに私の執筆スタイルとなっているからでしょう。

私は私のスタイルのまま、より面白い作品を書けるように、精進するしかないのだと思います。

つらつらと思ったことを書いてしまいましたが、また次の作品を投稿することもあるかもしれません。

そのときにまたお会いできることを信じて。




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