砂を噛むような、とは「無味乾燥でつまらない様子」という意味らしい。つまり、おもしろくともなんともない、つまらない、という意味だ。
・砂を噛むような人生
・砂を噛むような時間が過ぎる
・砂を噛むような虚しい日々
といった使い方のようだ。
そこで私は思った。
砂は本当に無味なのか?
変な考えだがふいに思ったのでしょうがない。砂を普通は食べない。好んで口に入れることは日本ではまぁないだろう。必死に思い返せば体育の授業なんかで転んだときなど口に入った。
無味乾燥でつまらないというより、不快だった。たいそう不快だった。そして変な味がした。あさりとかに入ってる砂とかも変な味だ。無味ではなくないか?
そう考えると無味なものはあるのだろうか?この世の中にあるもの、全部に味があるのではなかろうか?
そんなことを調べる気はないので、砂は食べ物ではないから無味なんだろうと無理矢理納得することにする。しないけど。
今、世の中ではこの「無味乾燥でつまらない様子」という使い方よりも「悔しくてたまらない様子」という使い方で広まっているらしい。
(もうそれは誤用ではなくて、新しい意味が増えてそうなるかはさておいて)
言葉は日々変わっていくのがなんだかおもしろいものだなと思いつつ、砂を噛むような生活にならないよう頑張りたいと思いながら筆を置く。