「死」ってやつはどうして形而上に存在を立証されていないのに誰にだって訪れるんだ。
こんな感じの台詞が海外自主制作カートゥーンアニメ「クリフサイド」の主人公が言ってた気がします(仔細は違う)(宣伝)
形而上学を全く学んでいない私は「死」って奴が学問上で認められてしまったら、いよいよ人間は魂とかあの世とかそういうもんと戦っていかなければならない気がしています。
小説に書き起こそうかと思ったのですが、なんかめんどくさくて近況ノートに殴り書いてます。
あらゆる存在者を存在たらしめている学問。形而上学。
じゃあその中の死ってなんだろう?
そう考えた時、ありふれた答えがすっと出ました。
みんなから忘れられた時です。
記憶こそが存在者を存在たらしめているものだとして。
記録に残し記憶を植え付ける我々物書きの作業は。
形而上学的な「生」の実践ではないでしょうか。