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空挺部隊のリアル体験をちょっとだけ

つい先程、市がやっている防災訓練と展示会に参加して来ました。
元々は町内会で購入する防災グッズの参考になるのではないか? と言われ『めんどくさい(´ε`;)』って気分だけでした。

行ってみたらグッズ展示は殆どなく、防災時にどう動くかといった体験会がメインでした。

そんなのどうでも良くて(おぃッ)習志野空挺部隊が車両展示やパラシュートを背負わせてくれるなど、今書いてるファウナの参考になるものが興奮させてくれました。
パラシュート前後(後ろがメイン、前はサブ)合わせて18kg。これだけでもずしりときますが、彼等は救援物資も背負うのだからとんでもないです。

良く災害時に『国が遅い』『自衛隊が遅い』などと勝手な事を言う訳ですが失礼な話だと思います。
(裏腹も受け取ってくださいね)

あと歴史好きならご存知かと思いますが習志野は日本軍が初演習した聖地なのです。
(何も無い野原で習う。あと篠原に習えという意味合いもあるとか。明治天皇洒落が効いてらっしゃる)

所詮創作なので自由な訳ですが少しでもリアルを知った上で書けるのは強みですよね。
自分は全然勉強不足((φ(>ω<*)

5件のコメント

  • レッツゴー習志野
  • うちは習志野の隣の隣って感じの場所です
  • 後、生まれ故郷は鹿屋自衛隊基地(-∀-`キチッ
    此方も或る意味聖地………それは流石に怒られそう。
  • 草鹿龍之介「豊田聯合艦隊司令長官は九州鹿屋の前線基地に移られ、そこで指揮を執られる」

    古村啓蔵(第二水雷戦隊指揮官)「何故、参謀長殿も聯合艦隊司令長官殿も防空壕から出て、特攻作戦の陣頭指揮を執ろうとなさらぬのか!!」

    のイメージが強いですね_(:3」 ∠ )_

    伊藤整一「──我々は死に場所を与えられた」
  • 輪廻さま

    これはガチでお返事を書かせて頂きます。不快に思われるかも知れません。

    自分は幼少期鹿屋にて蓋の閉められていない防空壕に潜ったりしたことがあります。そしてあの知覧にも足を運びました。
    中学時代は修学旅行で長崎に行き、悲惨………他に形容詞を持ち様がないものを見て来ました。

    何とも身勝手な物言いです。薩摩隼人の武士の様に主君に御身を捧げる。これを誉れとする。それは共感してしまうのです。
    島津の逃げ口により、敗戦したにも関わらず領土を取り潰されなかったのは英断だと勝手に思っています。
    実際には武士とて愛する家族の元で最期を迎えたかった人も居たであろうに。

    ただどうにも明治以降の戦争………増してや特攻隊に於ける死に場所には賛同出来ません。理屈じゃないんです。誰が『天皇陛下万歳!』と言いながら零戦をぶつけられるか!? 馬鹿を言うなと僕は言いたい。

    米国を含む連合軍は日本兵脅威の抵抗に対し、鹿児島から上陸し九州を制圧した上、滑走路と化し日本国民を根絶やしないと勝てないと恐れ、結果それを原爆投下に置き換えたと聞きます。
    なので命を投げ出し戦った日本兵は無駄死にではなかったと。。

    理屈は判ります、でも納得は出来ません。すいません、長くなった上に大変身勝手な発言でした。
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