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【ファラオの寵妃】図10:ハトシェプスト女王葬祭殿第2テラス南柱廊の南壁に描写されたプント遠征の様子(部分)

『ファラオの寵妃』第5話「プント遠征」を予約投稿していたのに、近況ノートで図を投稿するのを忘れていました。すみません。

この近況ノートには、デル・エル=バハリ(図12のエジプト地図参照)にあるハトシェプスト女王葬祭殿第2テラス南柱廊の南壁に描写されたプント遠征の様子(部分)(図10)を掲載しています。写真ではなく、模写です(著作権は切れています)。

上から順番に描かれている内容を簡単に説明します。

上から1番目と2番目の段:根付きのミルラ(没薬)の木を籠に入れて運ぶ様子

3番目の段:エジプト遠征隊(右)がプント側(先頭はプント公夫妻)を接待する様子。ネヘシの前にはミルラの山、背後にはテントが見える。プント公妃(真ん中)の異常な太り方には、象皮病、脂肪臀症、筋ジストロフィーとか様々な説がある。

4番目の段:プント側(先頭はプント公夫妻と息子2人、娘1人)がエジプト遠征隊を迎える様子。娘の背後に描かれているロバはプント公妃を乗せるためのもの(かわいそうなロバ!)。娘はまだ母親のようには太っていないが、太腿は母親の太り方を彷彿とさせる様相を見せ始めている。エジプト側(右側)は、襟飾りや首飾り、剣、戦斧などの物々交換用の品をテーブルの上に広げている様子がネヘシの前に描かれている。左端には高床式住居が見える。

出典:Mariette, Auguste. Deir-el-Bahari: documents topographiques, historiques et ethnographiques recueillis dans ce temple, Leipzig, 1877, pl. 5.


デル・エル=バハリは、ルクソール西岸にある地名です。ハトシェプスト女王葬祭殿と中王国時代のメンチュヘテプ2世葬祭殿があります。別の近況ノートに貼った地図(図12)をご覧下さい:
https://kakuyomu.jp/users/Tazu_Apple/news/16818093088864130275


ハトシェプスト女王葬祭殿、プント、没薬についてはWikipediaにも記事があります。

ハトシェプスト女王葬祭殿:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E8%91%AC%E7%A5%AD%E6%AE%BF

プント国:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%88%E5%9B%BD

没薬:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E8%96%AC

デル・エル=バハリの日本語記事はWikipediaにありませんが、英語の記事があります。
Deir el-Bahari: https://en.wikipedia.org/wiki/Deir_el-Bahari


『ファラオの寵妃』第5話「プント遠征」に戻る:
https://kakuyomu.jp/works/16818093088194897522/episodes/16818093088977971286

2件のコメント

  • ハトシェプスト女王というと、後継者が記録を消そうとしたと言われてますよね?それでも、残っているものは貴重でしょうね。
  • @fumiya57様
    コメントありがとうございます。
    レリーフの彼女の姿や名前はほとんど削られています。
    でも南エジプトのエルカブという所にあるイアフメス/パアエンネヘベトの墓の壁には、珍しく彼女の名前が残されています(閑話1に出てきます)。
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