「保母さん、幼稚園の先生へ」
人に対する不信感と
自分に対する無気力感が
大きくなった子どもが
注意獲得行動という
危険なことする
ああ、この子はこんなに愛に飢えているのだ
愛情のこもった目で見てもらおうと思っているのだ
相手の気持ちをなんとか自分に向けてもらおうと
思っている子どもなのだ
保育科時代の感想文に抜粋されていた、その本の一文。
感想文を当てつけのように読み上げる私の傍で
片付けの作業の手を止めて少し困ったように母は笑った。
母は私が生まれる前に保母を退職したが
還暦前に保育士に復職した。
孫のいない母は、まるで自分の子のように
園の子たちの話をすることが増えていった。
「昔は抱きしめて育てろ、なんてなかったのよ。今はたくさん抱きしめなさい、だけどね。時代とともに教育も変わるのよね…」
書類整理を進めると、次は大量のスケッチが出てきた。
中学時代、私は画家になりたくて芸術科のある高校の受験を希望していたのだ。
少し悲しくなる。
もう、私は絵が描けない。
母に反対され、絵を描くこと自体をやめてしまっていたからだ。
成人してから思い出したようにスケッチブックをひらいたが
思うように描くことができずにそれを破いて捨てた。
もうあの頃のように表現ができないことが辛かった。
それからペンを取ることは完全に無くなってしまった。
「あー、見てこれ絵、上手かったのになあ」
「また書けばいいじゃないの」
「いいんだもう。描かないって決めたから。…あ!みてこれ凄い!あー…続けていたらなあ…」
「…ごめんね。」
うつむきながら、ポツリと母は呟いた。
これは三十路の私の、甘えだ。
昔のような怒鳴り合いがなくなり、母は私の子供っぽい行動を受け止めてくれるようになった。
「…別にいいけど。」
嬉しさと後ろめたさと、気恥ずかしさとで喉の奥がぐっとつっかえた。
…日記書こうとしたら小話になった。