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【漫筆】楽観的に生きる人々(勝手に独り言)

「四連休何するの? どこか行くの?」
 と尋ねられ、
「いや、どこにも行かない。行ったとしても本屋巡りかな」
 と答えたら無視された。

 読書を趣味としない人にとっては、「本屋巡り」に魅力など見出せるはずはないのだと思うが、尋ねておきながら無視はないでしょうよ、無視は(笑)
 まあ、切り返す言葉も見つからなかったということだと思うが。
 「本屋巡り」、面白いけどなあ。


 元々休日だからと言って、どこかに出かけるという性格ではないので、連休が続いていても大してやることは変わらない。しかし今回は、私の周囲の人々の動きが気になる。
 政府が経済活動を活性化させるために始めた、「Go Toトラベル」。
 東京は対象外となったが、それ以外の地域に住んでいる人の中には「『Go Toトラベル』があるから」という理由で少し遠くに出かける人もいるようだ。
 そして、私の周囲の人も「遊び」や「旅行」に行くために遠くに出掛ける人もいる。

 家の中にいれば、人の出入りがないので「新型コロナウィルス」の心配をしなくていい。
 しかし少し外に出て、ちょっとばかり人混みの中に入れば、何となく疑ってしまう自分もいる。咳をしている人を見かけたら距離を取ってしまうし、長居は無用だと思うときがある。

 勿論、そんな風に思ってはいけないとは思う。
 しかし、どこかで警戒している自分もいる。

 「新型ウィルス」は周知のとおり、ワクチンもなければ、特効薬もない。
 若者は罹患しても完治するという認識でいるかもしれないが、あまり楽観視もできない。PCR検査で陰性となっても、長らく体調不良が続く場合もある。それは出口の見えないトンネルの中を歩き続けるようなものだろう。
 インタビューを受けていた大学生は常時寝床で過ごしていた。
 「感染症」故に、防げたものかもしれないと思えば思うほど、やるせないだろう。若いのに、ただ日々を寝て暮らすとは何とも痛ましいことである。
 

 時折、人間は「楽観的」に生きるように出来ているのかな、と思う時がある。

 「新型コロナウィルス」が中国で発生したとき、海の向こうの話だと思い、あまり警戒していなかったように思う。その後ウィルスが上陸。「第一波」が日本でも到来し、多くの人が感染した中で日本は優れたコメディアンや女優を失った。

 そこでようやく人々は「このままではいけない」と思い、緊張した様子で日々を過ごした。マスクがなければ手作りし、出来るだけ混雑した場所には行かないようにする。お陰でどこもかしこも閑散とし、今までに見たことがないほど人が街から消えた。

 しかし感染者数が減り続け「緊急事態宣言」が解除されると、人々はまるで「第一波」のことを忘れたかのように外に出るようになった。
 あれほど「感染症対策をしてください」と言っても、上の空の人々もいる。
 「夜の街」で遊ぶ青年の姿を捉えた写真は、朝方に恥じらいもないまま女性を二人侍らせ、服を乱したまま歩いていた。もちろんマスクは付けていない。


 そういう人々の姿を見ると、「ああ、人間は楽観的に物事を捉えるようにできているのかもなあ」と思う。
 大変なことがあっても乗り切れるように、人類に備わっているものなのかもしれないが、その機能だけが抜きん出いても状況は悪化するばかりなのにと思うのだが、どうだろう。

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