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ここのところ全然書いてない件について

いろんな理由がある。
 *小説を書くとは何かについて考えている
 *小説を書くために必要な下調べをしている
 *数年ぶりに、どハマりできるゲームに出会った
 *メンタルの調子がよくない

小説を書くことがイヤになったわけじゃない。たぶん書くのは今でも楽しい。もっと楽しく書くために学ばなければならないこと、知りたいことが多いから、具体的に動けないだけだ。

知りたいことの中には「小説家の生き方、考え方」なども含まれている。すでに売れているひとたちが、どのように小説に取り組んできたか。こういうサンプルの多くは、職業として小説をやっている人たちの声だ。

彼らはとにかく書いている。とにかく書いているひと達の意見が知りたいから、そういう人々をフォローしているという理由もある。それが当然なんだというような環境を作ることで、自分を唆すことができるんじゃないかと思った。

問題は、ぼく自身があまり周りに合わせるタイプじゃなかったという点だ。物心ついた時から今までを雑に総括すれば、こうなる――周囲に合わせようとする気持ちと我が道を行きたいという気持ちの間にいて、しかしどちらか一方に属することもできず、常に引き裂かれているような感じ。

そういう自分が異端だと感じていたし、かといってそのことを誇りに思うこともできなかった。あったのは罪の意識とか、申し訳なさだ。常に窮屈だった。

本当に異端であったのか、罪の意識に妥当性はあるのか、何に対してかは知らないが謝罪することでこの窮屈さ――というかある種の緊張状態――は緩和されるのか。客観的に見れば、これらが全部まやかしであることは明白だ。

ただ漠然と、不安と称してもよさそうな一連の認識が与えられている。あるいは、ぼくの内部から生じている。気力が無く、何にも考えることができないようなときでも、社会の方は思考しているように見える。

総和としての社会、あるいは他者の群れによる公約数的な言説。そういったものが、衰弱した自分なんかよりも、もっとリアルで、マッチョで、タフに思われる。集団なのだから当然だが、声が大きい。

だからすっかり怯えてしまって、とりあえず「ごめんなさい」と言ってみるわけである。「書かなくてごめんなさい」。けれども、一体これは誰に対して謝っているのだろうか。特定の相手がいるわけでもなく、自分に対してでもない。

なんだか真面目に書いている人たちに対して、しかも自分の中にある架空のイメージに対して、申し訳なさを感じてしまっている。こういう現実から乖離した落ち込み方をたまにする。ぼくを知らないひとたちに謝られる謂れはないし、ぼくを知るひとたちはすでに筆の遅い奴だと了解してくれているだろう。

「そろそろ書かなきゃマズいかもな」という気持ちはある。これを上のように検分してみると、あまり救いのない話になった。ただ、「書かなきゃマズい」は不明瞭な言い回しなので、どういう風に感じているのかは記録しておきたかった。

急かされて良いものが書けるタイプではないし、時間をかけて納得のできるものを書こうと決めたばかりなのにこれだ。気持ちが急いている。

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