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物語を作るということはどういうことなんだろう。

物語を作る人っていうのは聖職だと思う。
小説家、映画監督、脚本家、あげたらキリがない。
この職業についてる人たちは、みんな覚悟がある。いかなる意見が来ても受け入れる覚悟。変える変えないは別にして、まずその意見を聞く覚悟がある。全てを自分の責任として、自分の考えを、意見を、物語に載せて発信する。

だからこういう人たちは聖職だと思う。
だからそれを目指すなら、目指さなくてもその端くれなら、まずその覚悟を持つべきだと思う。

そんなことを思った朝でした。

2件のコメント

  • 大臣さま

    きっと神聖なお気持ちで、物語を創られていらっしゃるのですね。
    確かに、物語の核たる哲学は、神学から派生したと聞きます。わたくしも、大学で哲学を勉強したかったのですが、国際大学へ入ってしまったので、教養課程でしか触れることはできませんでした。
    そんなの、高校生レベルです。
    かといって、大学は毎日論文を書かなきゃいけなくて、独自にできるのは、図書館で哲人の本を読むことくらいでしたね。
    専門的に学びたかったなあ。

    雑談すみません。

    更新分拝読しました。
    大臣さまって、ミステリーの書き方で読者をつって、面白く読ませてくださいますよね。
    論理的な作り方なのですね。
    最近の作は特にラノベと純文が融合したようなセンセーショナルな面があって、ほんと嫉妬します。(キリキリキリ……)わたくしだって、
    書きたーいぞぉあー!

    (書くことが目的になっている人間もここにおります。困ったものヨ)
    しかし、わたくしは、仏像を彫るように物語を書き起こしております。
    聖職とまではいかなくとも、職人のようにも、修行僧のようにも、書く人はおりますよ。





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    水木レナ
  • コメントありがとうございます。

    自分は俗物ですよ。売れたいし認められたいし、そのステージに立ちたい。全然神聖じゃないです。
    でも、自分の意見を世界にぶつけるって、きっと大変なんです。だって、そこには必ず反響があるから。何も反響がないなら、それは自由帳と同じです。一人で遊んでることと変わりがない。

    そんなんだったら、外に出さなくていい遊びか、練習の範疇です。外に出すんだったら、それなりの覚悟がいるよねって、それだけのことです。

    物語の組み方ですが、僕が最初に読んだシナリオ論が「ミステリーの書き方」(幻冬社様)だったので、そこに影響を受けてるんだと思います。

    ありがとうございました。
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