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『命を摘む。』あとがき

『命を摘む。』を読んでいただきありがとうございます。あとがきまで書いてしまうと、ショートストーリー部門の文字数に収まらなかったのでこちらで。

これはもともと、僕が自殺について夜中まで考えていたところ気付いたら出来上がっていたものが原典となり、そこから少しずつ表現を変えたり設定を盛り込んだりして出来上がった作品です。

原典の状態では、ちあきがこんなに狂った感じで花を摘むシーンは、というかそもそも花を摘むシーンそのものが無く、『主人公ちあきが、過去やいおりの病気の影響で命のことをぐるぐる考える』だけの話でストーリー性が薄かったために花を摘むシーンを追加したところ、少し猟奇的な表現になり、逆にそれがハマったというか……。そしてそのシーンがこの物語のメインと呼べるほどのシーンに気付いたらなっていました。

『死にゆく命に対しての自分の無力さ』

という劣等感のようなもの、それに対するちあきのやるせなさみたいなものがよく現れた場面でもあります。たくさんの別れを繰り返してきたちあきと病院に長いこといるいおりが共通して持っていた感情です。その無力は誰にでも当てはまるものではありますが、ちあきといおりは多分、この感情を痛いほどに日々感じていたんじゃないかなって思っています。

この作品にはひとつ仕掛けがしてあります。『ちあき』と『いおり』が両方ともひらがな表記で、かつ、男の子でも女の子でもありえる名前だということです。ちあきといおりはお互いの名前の漢字がわからない頃から一緒にいた仲なのでひらがな表記で呼び合っているというのが裏設定的な理由で、もうひとつの理由はただ、漢字表記にすると漢字の印象で女の子っぽい、男の子っぽいという予想が立ってしまうかなと思ったのです。この話は『大切な人』と『命』についての物語です。多少なりとも想像して、感情移入して読んでくれたらな、という気持ちで作ったので、あえてキャラクターのイメージに幅を持たせています。友情の物語として読むもよし、恋愛の物語として読むもよし、同性愛の物語として読むもよし。好きに解釈してもらえればな、と思います。

最後になりますが、この作品はそこそこリアリティのある話です。大切な人の最期を手を握りながら見送れるわけでもないし、劇的なことはあまり起こらないし、ドラマティックな面白みはないし、いおりを失ったちあきにも、失う前と同じように明日がやってくる。死ぬかもしれないいおりの前で、

「人はどうして死ぬんだろう」

なんてちあきが言い出し、見る人によってはこいつ不謹慎だな、って言われそうなシーンもあります。ですが、思春期なんて案外そんなもので、側からみれば不謹慎な感情で繋がったり、響き合ったりすることがあります。正しさよりもわがままでちあきのこころを救ってみせたいおりの素直さも、そういう節がある気がします。だって死にたいって言う人に、君は死んじゃいけないよ、って……本当に信頼していないと無理だろうなって思いますが、長年自殺について考えてきた作者の僕自身の、今現在での最善の答えはこれです。わがままでもいい、好きな人には生きてて欲しいし、止めずにいたら絶対100パー後悔するし、わがままでも好きな人を救うわがままならいいじゃない!正直な気持ちでぶつかってしまえ!という……。

さて、随分と長くなってしまいました。中野先生は本当にちあきを忘れてしまっていたのか問題とか、ちあきが使う『うまれる』と言う言葉の『生まれる』表記と『産まれる』表記の違いはわざとなんだぜみたいな話とか、いつもの挨拶『またね』が最後に会ったあの日は……とかの話はせずに終わろうと思います。気になる方はコメントで聞いてください。

最後になりますが、『命を摘む。』を見つけてくださり、読んでくださり、このクソ長いあとがきを読んでくださりありがとうございます。感謝しかないです、マジのマジで。

いつかまた機会があれば、いおり目線の話を書いてみたり……するかもしれません。

ではまたどこかでお会いする日まで。

さようなら。

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