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ファンタジー・SF批評会の批評用場所

ファンタジー・SF批評会に参加している、論評者の方にお願いします。
是非とも未来放浪記の批評をここに書いて下さい。

書いてくれたコメントは自分なりに出来る限り、活かすつもりです。
どうもお願いします!

3件のコメント

  •  こんにちは、菅原様、草月と申します。企画「ファンタジー・SF批評大会」から参りました。個々のコメント欄と、記録集(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885691476/episodes/1177354054886283330)に批評を書きましたので、ここでは読みにくいようでしたらどうぞ。
     では、早速批評に入ります!


     「読んだエピソード」
    「過去」から「100年後の世界」まで。


     「総評」
     この作品は連載中で、本文が短いため、全ての批評を「総評として」一緒くたにします。整理はしているつもりですが、見づらかったら申し訳ございません。

     ⑴表記
     まず始めに申し上げたいのは、この作品が小説の決まり事を踏襲していないというに点ついてです。私自身が「カクヨムの書き方」という作品の中でこの決まりごとについて言及しているので、ここで指摘しない訳にはいきません。
    しかし、それを考慮せずともやはり不特定多数のユーザーに読まれるので、修正した方が良いことは確かです。
    一つ目は「三点リーダー」について。これは「…」で一つと数えます。三つでひとつ、ではありません。「…」が一つの記号です。そしてこの記号は、一般的に偶数個並べて使います。つまり正しい用法だと

    例:「はあ……、実験室か……。ここから結構遠いんだよな。」(過去 より)

    となります。
    菅原様の文章では、「・(なかぐろ)」を三つ連続させることで作られる「疑似三点リーダー」が使われていますが、こちらも上記の理由から好ましくないと言えます。

    二つ目は、疑問符、感嘆符についてです。こちらもそもそも知らないと決まり事に従えないので、知っておいて損はないでしょう。
     その決まり事とは、 “「?」「!」の後には必ず空白を開ける”というものです。こちらも例を挙げます。

    例:もしかして、こいつは遠隔操作されたロボットか? 自動で動くタイプのロボットは、あまり喋らないように出来てるし。(現在 より)

     となります。

     しかしながら、これらの決まりごとはあくまでも「ガイドライン」のようなものであって、厳密に言えば「規則」や「決まり」などといった大仰なものでも何でもありません。ただ、大半の方が無意識のうちに見慣れている表記の為、やはり従っておいた方が無難です。

     そのほか、表記については特に欠点はありません。むしろ文と文の間に適度な空白があって読みやすかったですし、「――(ダッシュ)」も適切に使われていたので読みやすかったです。


     ⑵表現  
     一人称視点は“主人公の心情表現が多いもの”。そしてよほどなれていない限りは“説明文と心の声のバランスが難しい”。私はこう思っているので、一人称小説はあまり書けません。かけて三人称的一人称小説です。
     同作品は、序盤で設定の説明がなされており、また「現在」では実況の形を取って主人公が状況をレポートしています。どちらも先ほど申し上げた説明文と心の声のバランスが均衡しており、上手いと感じました。特に後者は実況によって情景描写もしていますからね。

    ・いくつか見える壊れたパイプ内の一つからは、汚く濁った黄色のような色をした液が下に垂れている。(現在 より)

     情景描写がしっかりしていると、物語の舞台を想像するのが容易です。場面を想像しやすいということは、つまり作品に没頭していけるということを表します。
    それゆえ私は抽象的で気取った文がつらつらと続いた文は嫌いです。それよりも、この「未来放浪記」のようにサクサク読める分で構成される方が、娯楽作品としては優秀だと考えます。
     ただ、とても残念でならない点が一つあります。それは施設の「外」についての描写がなされる前に、エピソードが途切れていることです。せっかくコールドスリープが成功して未来に行けたのですから、未来世界も見てみたかったですね。というかそもそも、題名に「未来」とあるのですから、やはり読者は未来を見るために読む方がほとんどだと思います。
     もしかしたら、反応が少なくて意欲がそがれてしまったのかもしれませんが、反応は受動的では獲得できません。「評価されないから書かない」のではなく、「評価されるために書いて」いただきたいとおもいます。ぜひ、続きを投稿して、読者を「あっ」と言わせてくださいね!


     ⑶設定
     まず引っかかったのは、「現在」の冒頭に出てくるこの文。

    ・俺は本来目の前にあるカプセルの中で、そのまま未来永劫に眠ることになっていたハズだ。(現在 より)

     疑問です。文中にはコールドスリープの研究目的として「人体の体温を下げしばらくの間、体の老化を防ぐ睡眠方法」と書かれています。“しばらくの間”であるならば、何も“未来永劫に眠る”必要はないのではないでしょうか? 
     また、冒頭の文を引用しなくとも、そもそもコールドスリープの概念はタイムトラベル的な考えが少なからず介入しているため、いつかは冬眠から解除されることになります。ちょうど、この作品のように。
     物語の進行上、目覚めなくてはストーリーが展開していかないのですから、「未来永劫に眠ることになっていた」という文句は矛盾を生じさせてしまうと考えます。

     さて、次にピックアップしたいのは、機械生命体についてです。彼らはロボットのステレオタイプを見事なまでに持ち合わせているため、声はカナと漢字の混合した文であらわされています。
     
    ・「ロボットハ、感情ヲ持タナイ機械ノ事ヲ指ス。私ハ感情ヲ持ッテイル。ソノヨウニ言ワレルノハ、イササカ不愉快ダ。」 (100年後の世界 より)

     これはおそらく電動式人工喉頭によって作られた人工的な声を表しているのでしょうが、もう一つ、「律儀」という印象を与えます。カチカチしていて、ぎこちなくて、欠点が無くて、パンクチュアルなイメージです。
     が、次のセリフを見てください。

    ・「最モダナ。ソリャア疑ウノガ、アル意味普通ダロウ。」

     「それは」という連語が連結して、「そりゃあ」となっています。これは面白い。先ほど書いた「ぎこちなさ」という要素が覆されました!
     となると、この機械生命体とやらはかなりの知性を持っていますね。それゆえに人間を排除できたのかもしれませんが……。
     ともかく、個人の意見ではありますが、こうした小さなギャップというものは、作品を卑近なものから個性のあるものへと変化してくれますし、何より読んでいて楽しいものです。100年後の未来では、こうした常識外れの物事やギャップに溢れているのでしょうか!? だとしたら――ますます興味が湧きますね。
     では、設定については以上です。



     「個人的感想」
     コールドスリープにはロマンが詰まっています! まずカプセルに人間が入るという時点で、否が応でもSF色MAXになりますね。そして未来へと実質的なタイムトラベルを果たし、人工生命体と出会う。
    余談ですが、私がこの人工生命体の登場でまず頭に浮かんだのは「ロボコップ」ですかね。それも、リメイク版のではなく、原作の方ですよ。サイボーグと化したアレックス・マーフィ……。
     そんでもってこのロボ的生命体が、人間を殺してしまったとは、2045年問題がきっちりと反映されていますね。その理由も「感情を持ったから」ですし。感情を持つ→人間を殺すって、何だか飛躍しているようだったので、本当はこれも「⑶設定」で突っ込もうかと思いましたが、よくよく考えればわかる話ですね。ロボットが心を持ち始めるということは、超知能を獲得したということと同義ですから、人間はAIやロボットを抑制するか、破壊するかのどちらかです。そうなるとロボットに残された道は“親”に支配されるか、親殺しをするかのこれまた二択を迫られます。心はおそらくそれぞれのAIによって異なるものを持っていると思うので、人間に従おうとするAIと、人間を殺そうとするAIの勢力にわかれて戦争が起きた、なんていう設定があっても面白そうですね!

     言いたいことはこのくらいでしょうか。最近はあまり時間が無くなって、批評がどうしても薄くなりがちなので、本当に申し訳ないです……。しかし、それでもお役に立てていれば、論評者冥利に尽きます。

     さて、それではこれにて批評を終わりとします。菅原十人 様、意欲があればぜひ、この先の“未来”もあきらめずに書き続けてくださいね! 応援しています!
  • コメントありがとうございます!
    最近はサボり気味だったんですが、ぼちぼち書き始めようと思ってた所にこのコメントを見ました。
    なるほど、確かに色々問題点に気づかされました。とりあえず、変更しなければ・・・というか後で直しときます。あんまり、人の意見というのを見る機会がどうしても少ないので、こういう批評はありがたいです。
    ぜひ参考にさせて頂きます。
    ありがとうございました!
  •  お役に立てたようで、何よりです。あ、あと、企画参加ありがとうございました!

     SFは、現実を舞台にしている場合、根本からつくる必要はありません。しかし、その反面、フィクションとノンフィクションをうまく融合させる必要があるので、ここら辺がネックですね。

     とにかく、設定が重厚であればあるほど、科学を盲信する私たちには ”リアル” に感じられます。菅原様の想像をたくましくして、未来を作りこめば作りこむほど映える設定かと思います。

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