共テが終わり学校へ行き、4時間しかない特別授業を受け家に帰るとひたすらに赤本に取り組み教科書を読み返す日々。
たまに休憩もしたくなって、本やマンガに手を伸ばすといつの間にか1時間も経っていて他の子はこの時間にも勉強しているのだろうに自分はなにをしているのだろうと自己嫌悪に駆られる。
そもそもが自分は元来飽きっぽい性格なのでこうした継続して行う物事は苦手なのだということを思い出すと、その割には頑張れていると気分が明るくなるが数秒後にそれはただの言い訳に過ぎないことに気がついた。
勉強は嫌いだが中学の自分が自分で大学へと進む為に進学校を選んだのだ。別に嫌いなら高専を選んで就職という道もあった。でも、自分はそうしなかった。いや、できなかった。
結局の所、大学には行くものという固定概念が自分の中にはあって高校を出たら就職なんてことは怖くて選べなかったのだ。だから、逃げるように時間稼ぎにしかならないと分かっていながらも新学校へと進んだ。こんな自分だからきっと高専を選んでいたとしても、今頃面接の事やなんやで新学校にしておけば良かったのだと後悔していることだろう。
だったら、せめて後悔するにしても過去の自分のした選択に筋を通して後悔するべきで、最後までやり切ることが大事なのだと気がついた。
ただ、そうしてやろうと気合いを入れ、ペンを握るとあることを思い出した。
そうだ。9割に届かなかった共テ国語のことだ。あの日の自分は圧倒的なまでの自信があった。
現代文は当然とし、これまで苦しめられてきた古文漢文も基礎知識を固め演習を解き徐々に理解。
そして迎えた共テ当日。なんと古典で出たのは源氏物語だった。
源氏物語が大好きで内容を熟知している自分にとってこれはこの上ない最高の問題だった。漢文も易しく、なんなら満点すら全然あり得るのではと思っていた。
だが、自己採点をしてみるといきなり現代文でミスが出て続くように漢文でも点を落とし満点どころか9割にも届かない惨敗。
小学2年生から毎日ずっと本を読んできた身としてはこの上のない屈辱、敗北感を味わった。
あの日のことを思い出すと、どれだけやってきたとしても全てが無駄なのではないかと思えてしまうのだ。そうだ。どれだけ取り繕っても自分に嘘はつけない。
自分は正直もう進路はどうだっていいから早く受験さえ終わってくれればいいとさえ思っているのだ。でも、そんな自分も自分なのだから受け止めて進むしかないのだろう。
無駄だとやめたいと思いながらも今日も赤本と教科書を持って机に向かう。いつか、心から笑って小説を書ける日を夢見て。