『CRUMBLING SKY』
https://kakuyomu.jp/works/16818622175236685267前半『去勢恐怖』
悪夢パートと現実のパートの二つに分かれています。
この対比構造によって、夢と現実がリンクしていて、尾鳥の深層心理と現実の苦悩を描いています。
悪夢の中で命綱が切れて落ちていく展開は、尾鳥の庇護者意識の挫折を象徴しています。
小夜を助けようとするが、結果的に自分は落下する。これは現実パートの対話における、小夜を説得できなかった無力感の象徴です。
ファルス・メタファーと去勢恐怖
夢の中で語られる去勢恐怖は、単なる性的な意味合いだけではないです。
小夜を助けたいと思っていても、社会的にも法的にも何の力も持っていない。尾鳥の不全感が男性性への不安に重ねられています。困っている人を助けることもできないなら、男として終わりです。
「普通」という言葉の暴力性と認知の歪み
小夜が涙ながらに『私の普通はこうだった』と訴える場面は、虐待の常態化とそれによる認知の歪みを描いています。これは重要な問いかけです。――「当人にとって『普通』な環境がどれほど異常であっても、当人は気付くことができるだろうか?」
この物語では浮遊バクテリアからなる幽霊以外にも見えない存在が多く登場します。注意して見つけ出さなければ小夜のSOSも、瀬川の完全犯罪も、明るみには出てこないし、存在しないのと同じです(メタ的なことを言えば、この作品自体、読んでくれる人がいなくて埋もれてしまえば、書いていないのと同じです)。
後半『夢の終わり』
母への初めての反抗、しかしその直後の父の登場。
『灯油を持ってこい』と命じた場面で、おそらく勘のいい読者はヒヤリとします。明確な殺意を感じさせる場面です。
普通とは何か
小夜の話がひと段落し、尾鳥の内面が掘り下げられます。
『普通って、なんだよ』――小夜の問いが尾鳥に残響し、「普通」という概念が哲学的に揺らぎ始めます。
自分は「普通」から逸脱した不良品ではないかという自己嫌悪が語られ、「都市の幽霊」という自己定義がここで明確に表現されます。
小夜を引き留められなかった自責、もっと早く「普通」の代替を提供できなかったという後悔。彼のモノローグは、救済者としての傲慢さと、小夜の痛みに寄り添えなかった無力さの自覚を示します。
『話はあとだ! 救急車を!!』
尾鳥の叫びは、言葉ではなく行動によって、小夜に手を差し伸べる場面です。
巻き込まれてばかり、受動的な彼の成長を示す重要な瞬間であり、小夜が救われるための一歩となります。
この話で小夜は初めて「NO」と言うことができ、尾鳥は初めて「YES(助ける)」という行動をとりました。
ダブルの転換点が物語に強い推進力を与えていますが、小夜の人生はめちゃくちゃだし、瀬川の狂気に対抗する手段がない。
はたして収拾がつくのでしょうか……。