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第四話 龍を追う者について

『CRUMBLING SKY』
https://kakuyomu.jp/works/16818622175236685267

SF要素と小夜の物語のミッドポイント的エピソードです。


前半『アポイントメント:貝木椛』
日常描写のリアリズムと世界観の補強
非日常(瀬川や杵原など、夜の公園)からいったん距離を取り、都市生活の質感を細かく描写しています。
読者的にも瀬川を抜けた後に一呼吸置きたいと思ったので。

鍵が掛かっていたかどうか→瀬川の影が尾鳥の生活に入り込んでいることを示唆。スリラーな要素を薄く引きずりながら、読者に警戒心を植え付けています。
ファッション、メイクの描写→日常パートとしてキャラクターを立体的に描いています。複数のジャンルを跨いでいるので、バランスを取る意味合いも兼ねて差し込んでますね。

キャラクターについて

尾鳥
物事の巻き込まれる体質で、受動的な主人公。
小夜に対して疑似家族的な思慕を抱きつつも、その庇護欲の根底には孤独や自己価値の確認が見え隠れする。
情緒的な曖昧さと、現実的な生活者としての顔が見えてきて、人間味が出てきた。

小夜
虐待を仄めかされる少女。家庭崩壊しているが、その全容を尾鳥には伝えていない(というか崩壊していると思ってない)。
自己演出(化粧、服装)にこだわり、他者との関係の中で「大人」を演じようとするが、まだ未成熟で危うい。

貝木
能天気で自由奔放な印象。尾鳥にとって信頼できる同僚として機能している。
スタンプの応酬など、言語外のノリが親しみやすく、この話では読者に距離感の近いキャラ。


中『ダブルカルチャード』
都市と超常の交差点――新宿という舞台装置
新宿というロケーションが物語において極めて象徴的に使われています。
都市の雑踏と人混み、複雑すぎる改札、眩しい都市照明が描写される中で、『誰も空を見上げない』。

これは、情報と刺激に溢れ返った社会の中で、人々が超常的なもの、あるいは精神的なものに目を向けなくなっていることに対する問いかけです。
小夜だけが『龍』を認識できるという事実は、その感受性の高さと、社会や物質世界に対する無垢さを象徴しています。普通ではないけれど、だからこそ特別になり得る可能性がある。

この話でいよいよ初登場した貝木は、非常に印象的なキャラクターです。
鮮やかな赤髪、アパレル副業、陽気で奔放な言動、他人の懐に入り込む握手と観察する視線。
外見や口調からは軽さを演出しつつ、只者ではない雰囲気を醸し出します。

ビアカクテルのくだりはなかなかいい感じではないかと思います。


後半『新宿幻想』
浮遊バクテリアや周波数調整員といった概念を深掘りしつつ、『龍』との邂逅を通じてキャラクターたちの関係と世界観の核心に触れています。

可視化された幻想の王
龍は超広域浮遊バクテリア群で、集積した都市のイメージが具現化した存在。ラジオの砂嵐のような周波数の混濁から生まれ、姿を整えながら顕現します。
その姿は有機的かつ無機的。これは情報と幻想、現実と非現実の曖昧さを強調するためです。
『見る』あるいは『見つける』ことで存在が現実のものになる……これは龍や幽霊たちに限らず、小夜にも当てはまることです。抱えている問題を誰かに見つけてもらわないと、存在すら危うい人は確かにいるんです。

幻想とは何か?
『見える者』が幻想の実在を確定させるという論理は、現実の相対性と信念の力をめぐる哲学的な問いを孕んでいます。同時に、この幻想を他者と共有できた時、それは単なる妄想ではなく価値のある経験へと昇華される――つまり幻想とは、他者と共鳴することで価値を持つものなのです。

『同じ幻覚を見てる』という饗庭小夜の発言は絆の形成を意味しており、集団ヒステリの体験を経て社会への繋がりを感じました。安全な夜という不思議に満ちた見える者たちの世界。そして自分が将来どのように生きていけばいいのかの展望も示され、更生の目途がついたというエピソードでした。

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