• 歴史・時代・伝奇
  • 現代ドラマ

カンペー(関平)の話

連載中の学園戦記三国志
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890213389
に登場したカンペーの話。
モデルは関羽の子・関平(かんへい/かんぺい)。
関平だが、正史(史書)では実子、演義(小説)では養子となっている。
この学園戦記三国志では演義の養子よりの設定となっている。
というのも正史だと関平の記述が極めて少ないからだ。
関羽の子で219年頃の戦いで関羽に従軍しているが、それ以前の記述はない。恐らくこの戦いが初陣だったのだろう。
今連載中の五章は208年の赤壁の戦い前後の時代を扱っているが、史実の関平はまだ子供だ。
恐らく演義も関平を早めに登場させたいために養子としたのだろう。養子ならいきなり成人して出てきても問題がない。おかげで演義の関平はよく活躍し、三国志ファンにはお馴染みの武将となった。
ところで関羽には他に関興(かんこう)という子がいる。彼の記述も正史では少ないが、演義では夷陵の戦いに従軍している。
関興の生年は不明だが、この戦いが開始されたのが221年、この頃に関興が成人したぐらいと考えると、200年に関羽が関平を養子にした時、子供はまだいないと言っているので、関興はこの後わりとすぐに生まれた計算になる。
関平を養子にして、すぐ実子関興が生まれて、関羽は後継ぎをどうするかとか考えたりしたんだうか?
そういえば、207年に劉備の子・劉禅(りゅうぜん)が生まれ、その後劉封(りゅうほう)を養子に迎えるが(正史では劉封を養子にした後、劉禅が生まれる)、実子がいるのに養子縁組みをすることを関羽は非難している。
この時点で関興は生まれていた可能性が高いから、やはり実体験からくる意見だったのだろうか?

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する