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三国志の書家・劉徳昇

学園戦記三国志
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890213389
の最新話番外編その8[書画]に登場した人物を三国志的に深掘りしようのコーナー!
今回は行書の祖・劉徳昇!(本当は張芝もやろうかと思ったが思ったより長くなったのでパス)
劉徳昇(りゅうとくしょう)(生没年不明)、字を君嗣というので、この時代では珍しい名が二文字の人ということになる。詳しい経歴は不明だが、桓・霊帝時代の穎川郡の人で、行書の祖と言われ、鍾繇(しょうよう)、胡昭(こしょう)の書の師匠だったというが、その書は後世に伝わっていない。
以上、で終わるにはさみしいので、もう少し続けるが、彼の出身地とされる穎川郡は予州に属し、弟子の鍾繇や胡昭の他、荀彧(じゅんいく)、郭嘉(かくか)、陳羣(ちんぐん)、司馬徽(しばき)、徐庶(じょしょ)…と、多くの人材を輩出した地域として知られる。
穎川郡の劉氏だと後漢の劉陶(りゅうとう)がいる。彼は穎川郡穎陰県の人で、済北貞王劉勃(りゅうぼつ)の末裔。霊帝に仕え、諫議大夫となる。黄巾の乱や羌族の反乱の時、度々上書し、宦官を除くよう訴えたが、反対に宦官の讒言にあい、獄死したという。
他に劉翊(りゅうよく)も穎川郡穎陰県の人だ。彼の家は代々資産家であり、よく他人に施しをしたという。
献帝が長安に遷都すると、劉翊は上計掾に推挙された。当時、盗賊が蜂起し、道路が通行できる状態ではなかったが、夜中道を進み、朝廷に出処し、その忠勤を誉められ、議郎、さらに陳留太守に任命された。しかし、劉翊は下賜された金品を返し、ただ車馬のみもらって故郷へと帰ろうとした。だが、その途中、餓える知人に出くわし、「見捨てるのは志士ではない」と周囲が止めるのも聞かず、車を牽いていた牛を殺し、彼を救ったが、結局、全員餓死したという。
後漢書劉翊伝では献帝に仕えたように書くが、長安遷都時ということは実際に招いたのは董卓(とうたく)ではないだろうか。董卓は最初、張邈(ちょうばく)を陳留太守としたが、彼は反董卓連合に加わってしまった。そこで劉翊を代わりの陳留太守に任命したのではないだろうか。で、結局逃げられたと。
劉徳昇、劉陶、劉翊は三人とも穎川郡の人だが、関係性は不明である。劉陶が劉徳昇と同世代ぐらい、劉翊が子供世代ぐらいだろうか。
ちなみに本編では鍾繇、荀彧、郭嘉、陳羣、董卓、張邈はすでに登場済み(名前のみを含む)、探してみよう。

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