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番外の番外 三国志の刀剣の話

好評(自称)連載中学園戦記三国志
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890213389
の最新話、番外編その5[服装]の話で剣の話がチラッと出てきたので少し補足。
今回の番外編では、あくまで日常生活での文化なので、武器の話は設けてないのでちょっとだけここでやる。
中国では成人男性の足から眉までの長さの武器を短兵(刀剣など)、それより長いものを長兵(矛(ほこ)や槍など)といった。
通常の戦闘においてはリーチの長い長兵の方が有利だが、接近戦や森林や市街地など動きが制限される空間では短兵の方が有利であり、また長兵より携帯が楽なので、ほとんどの兵士はなしかしらの短兵(多くは刀)を身につけていた。
両刃の短兵を剣、片刃の短兵が刀である。
剣の歴史は古く、伝説によると怪神・蚩尤(しゆう)が他の矛や戟(げき)などともに発明し、黄帝(こうてい)と戦ったという。出土品的には殷の時代には剣が作られていた。
周の時代、貴族は剣を必ず身につけることになっており、その意識からか古代においてはどんなに貧乏でも剣だけは持っていることがままあった。
孟嘗君(もうしょうくん)の食客になりにきた馮驩(ふうかん)の持ち物は剣のみであったり、項羽(こうう)の元から去った陳平(ちんぺい)の持ち物が剣のみだったりと、昔は一文無しになっても剣だけは持っていた。
その後もこの意識は続き、漢の時代には皇帝から官吏、さらには庶民まで帯剣していたが、官吏の帯剣は装飾品としての価値しかなくなり、次第に衰えたことは本編に書いた。
しかし、剣の権威は残り、明の時代では、将軍が遠征するときは、皇帝からじきじきに尚方剣(しょうほうけん)という宝剣を賜ることがあったそうだ。
もしかしたら、三国時代から五胡十六国と戦乱の時代が続いたため、武器が不足し、装飾品の剣まで作る余裕がなくなっていたのかもしれない。

戦場においては漢の時代頃までは主力武器であったが、騎兵などが登場し、より戦いが激しくなると、次第に刀に取って変わられるようになった。
剣ではもろく、激しい実戦には耐えられなかった。強度をあげるには刃を厚くすればいいが、両刃の剣では限界がある。一方、片刃の刀なら刃のついてない方の厚みは増しやすく強度が上げやすかったからだ。
また、三国時代頃には、異種の鉄を練り合わせる灌鋼法(かんこうほう)が広まり、より長く、強靭な刀が作られるようになったのも普及する一因となった。
蜀の蒲元(ほげん)は三千振りの刀を鋳造し、諸葛孔明に献上したという。その製法は、金属を溶かして鋳型にするもので、普通のやり方とは全く違っていたという話が残っている。この製法も灌鋼法の一種かもしれない。
また、蒲元(ほげん)が作った刀で、小さな鉄球をつめた竹筒を切りつけると、なんの手応えもなく、竹筒は干し草のようにすぱっと切れた。そのため“神刀(しんとう)”と名付けられたという。
また、呉の孫権も黄武五年(226年)、三尺九寸(約94センチ)の千振りの剣、一万振りの刀を製作したという。剣も作っているが、刀が方が圧倒的に多い。
三国時代に主流だったのは直刀だが、唐の時代頃からはより斬るのに適した曲刀が用いられるようになる。日本刀のように刃に反りがあるが、日本刀より刃の幅が広い。漫画や映画なんかで見る青竜刀がこれだ。
まあ、刀剣の話は大まかにはこんなところだろうか。
思ったんだけど、もしかしてこれ本編でやるべき話では?

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