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タイシジのこと

前回の記事でも少し触れたが、タイシジの性格はラノゲ版とこの小説版では大きく変わっている。ラノゲ版だと冷静に状況を判断してリュウヨウを諌めるみたいな演義的な立ち位置だったんですよね(コウユウ救出は小説版の加筆)。
太史慈といえば、信義に篤く、孫策と一騎討ちをするほど武勇に優れた武将というのが、演義他、多くの三国志ものでの定番のイメージだと思う。
しかし、呉書(正史注釈)によると、彼の最期の言葉は「大丈夫たるもの、世に生きては、七尺の剣を帯びて天子の階(きざはし)を升(のぼ)るべきものを、まだその志が実現できぬうちに、なんと死ぬことになるのか」(筑摩訳より引用)だったそうだ。
この言葉の解釈は多少あるが、一般には「男なら皇帝の位を目指すべきなのに、その前に死ぬなんて残念だ」と解釈される。
この言葉を最初に知った時、ちょっと太史慈のイメージが変わってね、野心家の太史慈も面白いかなと思ってたが、小説版を書くにあたってそれを採用してしまった。
まあ、野心家キャラのつもりが、こんなバカキャラみないになっちゃったのかは謎。
でも、この人の行動見てると、役人騙して文書奪ったり、一人で孔融の元にやって来て自分を指揮官にしろとか言い出したり、劉ヨウから独立したりと、結構無茶苦茶やってる気がする。
まあ、結果、本編にあるようなキャラになりましたね。
でも、やはり信義の武将のイメージも残したかったから、背中にでっかく書くことにした。後、口上で度々信義って言わせといた。これで誰が見ても信義キャラだね、めでたしめでたし。

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