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いじめは何故生まれるのだろう

いじめの起きる原因が競争にあるんじゃないかと思ってきたが、それだけじゃないような気もしてきた。

学習すること勉強することに競争は必要なのだろうか?

覚える能力や速さ、学習能力に個人差があるのは当然だけれども、順位をつけるものなのか?
よく学校で「切磋琢磨して」との声を聞くけれども、勉強って競争なのか?
一番になった子どもたちを集めると、いい社会を作れるようになるのか?

正解のある問題に、正解を答える。
そのことをただひたすらやってきた人が、
正解のない、どれが正解なのか解らない世界で
正解が答えられるのか?

先生(上に立つもの)の思っている答えを答える子供は優秀なの?
先生(上に立つもの)の意見や指示って全て正しいものなのか?

学習すること勉強することは、人間にとって楽しいもの嬉しいのであって、決して苦しいもの、悲しいものではないはず。それは人と比べるべきものでもないはずだと思う。

人と比べると、それは自分を失っていることである事に気づくべきだと思う。
人と違って当たり前で決して批判できるものではない。

自分の足りなさを補うために人や世を批判する。批判は誰にでもできる簡単なことであり、その事で満足したりもする。結果、思考停止に陥ってしまい自分の成長を阻害してしまっていることに気づいてないのだと思う。
批判することは一時的に自分を高みにおいて満足すことに他ならない。

批判そののもを悪くいうつもりはないが、もし批判したくなったら、批判したい自分を見つめ直すことが必要だと思う。
「なぜ批判したいのか?」「批判の目的はなんなのか?」「批判するとどうなるのか?」「自分はどうしたいのか?」
など一歩引いて考えることが自分の成長につながると思う。

いじめのない世界を作ることは、争いのない世界を作るのに似ていると、今、思った。

多分、違ってると思うけど・・・(笑)
「戦争のない世界を作るためにいじめをなくそう」と呼びかけたい。

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