こんばんは。
上月です。
長編が書けないのが最近もどかしいです。これは特性的にアイディアが出やすい、かつ飽きやすい性格なのか、なかなか3000字から1万字から抜け出せません。じっくりやってるのが『群像の鳥』です。第一話公開からもうすぐで3年たちますね……。わりとやばいやつです……
長編は書く際に全体を決めて詳細に書く方が良いことは体感的にもそういう本読んでもわかるのですが、性なのか、カメラのズームを引いたり広げたりする必要があるのにズームしっぱなしなんですよね。表現の部分から物語の流れを担う水路を作る手法なので、大気圏外から玉川上水を肉眼レベルで確認するような作業が苦手というか。
かといって地図(プロット)なしではやたらめったら掘っても水が流れる保証もないし繋がらないし。
物語を作るって、こういう水路を作る作業に似てるなって思う時があります。地質によっては水が流れないし、固くて掘れないし、高低差の関係でうまく流れなかったり……。そう考えるとローマってやっぱすごいなって思います。
『物語作りを水道工事(水路作り)に例えるならば、古代ローマの水道技術とはこれ如何に?』
今日は作品作りはできそうにないのでこれを考えますかね。
ちなみに、水路を掘ってもなかなかうまく流れなくてそこを埋め戻し掘り直したらうまく行くような感じが『没にしてからもう一回作り直す感じ』に近いのかなって思います。これは全くもっての私見です。
本日はこの辺で。
それでは。
上月祈