翌朝、一晩をトロットの宿で過ごした真央たちは、ハドソン大迷宮の正面入口がある広場に来ていた。
以前この世界の書物で読んだ通り、唯一人間族が発見することが出来ているハドソン大迷宮の入口は、そのものがむき出しになっているわけでなく、それを囲う大きな建築物の内部に秘されている。
これは万が一にもハドソン大迷宮が雨水や風の侵食を受けて機能しなくなるような可能性を排除するためと、そこに入場する者をしっかり管理出来るように考えられた処置だそうだ。
その建築物の入口はまるで博物館か何かの受付のようになっており、そこで制服を来た男女が笑顔で迷宮への出入りをチェックしている。
ここでステータスプレートをチェックして出入りを記録することで、行方不明者数(実質のところ死亡者数だろうと真央は思った)を正確に把握しているのだ。
いくら誰でもなれる冒険者とはいえ、その人数を管理できていないでは国として拙すぎるし、何より近年は魔族の攻勢が強まりつつ有り、失われる戦士の数を一人でも少なくしたいという思いもあるのだろう。
またそうした冒険者などが集まるので、それを客として目当てにしてこの入口付近の広場は露店が多く並んでいる。
中に入る冒険者や傭兵に食事を売ったりポーションを売ったりと、多くの店が乱立しているのはまるで祭りの縁日を思い起こさせる。
なおここハドソン大迷宮正面入口前広場では日常茶飯事だ。
というのも、迷宮の浅い階層は良い稼ぎ場所として初心者から中級者まで大人気なのだ。
中級者でも、無理して奥に入らずとも浅い層で狩りを行っていればいいぐらいには、迷宮探索は儲かるのである。
そしてここハドソン大迷宮が人気な理由は他にもう二つある。
一つが、地方の小迷宮と比べて遥かに広く、大勢の冒険者が一度に入ってもそうそうバッティングはしないこと。
そしてもう一つが──
「では、行くぞお前たち! ちゃんと気合を入れておけよ」
と、そこでロイド団長から声がかかり、勇者一行も団長に続いて正面入口へと歩いていった。
「王宮騎士団長のロイドだ。後ろの彼らが召喚された一行だ」
「事前に連絡は伺っています。どうぞ、お入りください」
事前に連絡をしていたらしく、真央達は一人ひとりステータスカードを出しては確認してもらうという時間のかかる苦行をする必要はなくなった。
真央達クラスメイトの一部が礼をしながら通ると、後ろから「ご武運を、勇者様」という声が聞こえた。
軽く振り返ってみるとすでに先程の女性は次の冒険者の対応を行っているようだった。
「どうした?」
「んや、何も」
聞こえなかったらしい山口に説明するほどのことでもない、と真央はそれを流して、ロイドに続くクラスメイト達とともに、迷宮の内部へと侵入を果たした。
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迷宮の内部は、構造自体は複雑なものの、戦うものとしてはむしろわかりやすい構造になっている。
縦横五メートル以上ある通路は薄青色や薄緑色、薄ピンク色に発光しており、松明た明かりの魔法や魔道具がなくてもある程度の範囲の視認が可能だ。
これは青光石と桃光石という光を放つ特殊な鉱物と、自生している光苔という発行する苔の光による明るさだ。
一行は隊列を組みながら進んでいく。
前方はロイド団長、後方に騎士団員、そして両脇にも数名ずつの騎士が控えているが、少なくともこの通路における襲撃、戦闘は基本的に有り得ない。
ハドソン大迷宮のモンスターは、ここに出現しないのだ。
ではどこに出現するかと言えば、今まさに真央達が通路から出て踏み入った場所である。
そこはドーム状に開かれた大きな空間。
地面は真っ平らで、天上までの高さは七、八メートル程、平らな地面の範囲はざっと見たところ縦横三十メートルほどはある。
そんな、いかにも何かと戦うことになる、と言わんばかりの空間。
「来たぞ」
一同が物珍しげに辺りを見渡していると、壁中にある隙間から多数の緑色の塊が這い出てきた。
「よし、まずは大輝達が前に出ろ! 他のものはその後ろで待機だ! タイミングを見て交代を指示するからな。以前戦ったことがある者もいると思うが、あれはゴブリンだ! 小柄ながらすばしっこいぞ。落ち着いて戦え」
その言葉の通り、ゴブリンと呼ばれた魔物が結構な速度で走って飛びかかってくる。
緑色の体表には毛はなく、木の根のようなゴツゴツとした硬い質感をしているのが見て取れる。
険しいしかめづらのような顔は、見たものを苛立たせる表情をしている。
そして特筆すべきは、細く貧弱に見える足と比べて大きく長い腕だ。
すべての個体が明らかに錆びていたりするものの何らかの武器を持ち、それなりの速度で振り回してくる。
そんなゴブリンの集団に対して、まず真央達一行の中から迎撃するのは、聖騎士である大輝と、闘拳士の嵐、そして魔剣士の美玖だ。
その後方では、同じパーティー(冒険者や騎士、兵士の迷宮での戦闘単位。大体六人前後であることが多い)に所属し魔法を得意とする勇者の灯と、その友人である言霊師の青柳奈緒、結界師の堀川千尋が、魔法の詠唱を開始する。
ちなみに、今回召喚されたメンバーの中にも、そしてこれまで人間側で確認されている戦闘向け天職持ちの中にも、【魔術師】や【魔法師】と言った直球の魔法を操る天職は存在していない。
その理由は、『そもそもとして資質の差こそあれ魔法は一般的な技術である』ため、それに特化した天職にはならず、例えば灯が持つように『全属性適性』などを技能として保持することが一般的だからだ。
いや全属性適性は一般的では無いけども。
そういうわけで、言霊師であったり結界師であったりする奈緒や千尋も、普通に高火力の魔法を使えるわけである。
他には曲刀士なのにやたらと風属性が高い|高柳静《たかやなぎせい》とか。
他にも属性特化の術師を天職に持つ者もいるが、それでも他の魔法が使えない訳では無いし、その鍛錬も本職の鍛錬と並行している。
真央だって、【兵士】でありながら多くの魔法を操るために、量の腕に最小規模の《《魔法陣を書くための魔法陣》》を刻んたグローブを貰えることになっている。
閑話休題。
戦闘の方は圧倒的な様子であった。
まずは大輝が盾と剣を使って丁寧にかつ素早い立ち回りで魔物たちを受け止め、ときに仕留めときに押し返し、他の前衛二人が攻撃に周りやすいように敵の中央で暴れ回っている。
その持つ剣と盾は、ハインリヒ王国の国庫から出てきたアーティファクトの一つであり、二つ合わせて【十字騎士の盾剣】というものだ。
その範囲内にいる敵を弱体化させ、味方に対する攻撃を自分に引き付ける。
まさしくパーティーの盾と言うべき効果を持つアーティファクトだ。
そうやって撹乱されたモンスターを仕留めていくのが、嵐と美玖だ。
嵐は柔道を昔やってたボクサーという異例の経歴からか、【闘拳士】という立ち技から寝技まですべての肉弾戦をと得意とする天職を持つ。
そのため装備は出来るだけ軽く、敵と接する手足の先端部や関節部に籠手や脛当て、肘当てと膝当てを装備している軽装姿だ。
だがその能力はアーティファクトの能力と合わせて強力だ。
彼のアーティファクトは、攻撃が敵に当たった瞬間の衝撃を増幅するものだ。
そのため、彼の牽制程度の拳や蹴りが、当たりどころによってはゴブリンにとっての致命傷となっている。
そうやって彼は、大輝を超えてくる敵を迎撃していく。
本当であれば大輝の前にすら出たかったが、天職の差故にそこは受け入れたのだ。
美玖は【魔剣士】という天職と、元々剣術を始めとした古武術を学んでいた経歴から、刀に近いかたちのアーティファクトを貰い受けている。
軽装を身にまとった侍ガールである彼女は、試し切りでもするように自身のアーティファクトに属性を宿してみたり、斬撃を飛ばしてみたりとしながら、嵐に劣らない勢いでモンスターを駆逐していく。
その動きは盾を用いる剣士という戦い方を覚えたての大輝や、対人特化の嵐の技術よりも更に洗練されていて、見ている騎士団員達が感嘆のため息を漏らす程だ。
真央も同じく、その動きには【兵士】である自分が学ぶべきことがあるはずだ、とよく観察している。
と、ようやく魔法の詠唱が終わったのか、後方の支援部隊からの魔法の最後の詠唱が高らかと鳴り響く。
「「「赤き炎渦巻いて、敵を飲み込む大火とならん、残るはただ灰のみにて──【渦炎】」」」
「前列退避だ!」
三人が一点を志向して放った渦巻きは、大きく飛び退って安全圏に逃れた大輝達の眼前で一つの大炎へと合流を果たし、ゴブリンたちを吸い込み巻き上げ焼き尽くしていく。
巻き込まれたゴブリンは、断末魔を残すことすら出来ずに灰と化した。
そして魔法によって最後のゴブリンの一集団が討たれたことで、広場にいたゴブリンは全滅していた。
真央から見ても全員余裕がある戦いぶりだったので、おそらく一層相当のモンスターでは彼らの相手をするには力不足なのだろう。
まだまだ下の階層の相手でも余裕でできそうだ。
「よし、良くやったぞ! 他の者達に働かせることなくあれだけの数を撃破したのは見事だ。お前たちは、次は戦ってもらうぞ。だが一つだけ聞いておきたい」
「なんでしょうか」
ロイドの問いかけにパーティーを代表して大輝が答える。
というか良く見ればあのパーティーうちのクラスでの厨パみたいだな、と真央は思った。
流石は勇者の御一行である。
「なぜ、勇者である藤澤を後衛に置いたんだ? 叱責ではなく、お前たち自身の判断の理由が聞きたい」
確かにそれは真央も思ったことだ。
というか大勢が思っているだろう。
灯は勇者として、【勇者の剣】という王国最強のアーティファクトを受け取っている。
つまり、前衛として戦うことも期待されているのだ。
そもそも勇者なので、剣と魔法どちらも万能だというイメージもある。
「藤澤はまだ俺達のように前線で戦う技術を身に着けきれていません。それに俺達自身、灯の配置はどうしたら良いかと試している段階でした。今回はそれで藤澤に後衛を務めてもらいました」
「なるほど。では、前線に出す戦いもやる、ということだな?」
ロイドの問いに答えたのは、大輝ではなく当人である灯だった。
「はい。私も、剣を使う戦いもします」
「よし、その覚悟はわかった。だが一方で、大輝の言う通り灯が他の三人に近接戦闘の能力で劣るのは明らかだ」
「はい」
「故に、より精進してくれ。もっと強くれるように。勇者こそ、万能の化身だかえあな」
「はい!」
灯の可愛らしい決意表明で若干場の空気が緩んだが、すぐにロイドが次の指示を放ち場を引き締める。
「それでは人員を入れ替えて次に向かうぞ。ああ、それと、魔法使い諸君」
いつもの如く勇ましく指示を出したロイドは次いで苦笑をしながら言う。
「あまり力を入れすぎるなよ。今回は訓練だが、普通は倒した魔物の魔石を集めるものだ。あまりオーバーキル過ぎると、魔石まで消失してしまうからな?」
ロイドの言葉に、それもそうか、と戦ったメンバーだけでなく他のメンバーもそれを思い出した。
「それにオーバーキルをしてしまう癖は、ギリギリの戦いになったときに響いてしまう。なるべくその癖は無くしておけよ」
「なんで、ギリギリの戦いだとオーバーキルじゃ駄目なの? ギリギリのときこそ火力でドーンてした方が早いと思うんだけど」
擬音つきのわかりやすい質問をするのは、言霊師の青柳奈緒だ。
彼女は『言霊』をある程度自由に操るという便利な能力を持っているのに、なぜか擬音語がたくさん出てしまう少々残念な元気っ子だ。
ちなみに彼女を始めとして数名ロイドに対して敬語無しで接している者もいるが、ロイドは笑ってそれを許している。
「厳しい戦闘、ギリギリの戦闘になった時に重要なのは、如何に自分たちの体力、気力、魔力を切らさないか、ということだ。特に大軍を相手にするときなんかは、如何に効率的に倒すか、を考えることになる。その点で言うと、オーバーキルというのは、余計な魔力と詠唱時間を消費していることになる。だから、今はまだ良いが、ゆくゆくは敵がどの程度で倒せるのか、自分たちの魔法がどの程度の威力があるのか。しっかり確かめておいれくれ」
「そっかー、そういうことか! この奈緒ちゃんにババーンと任せなさい!」
「ああ、よろしく頼む」
思い切り胸を張って宣言する奈緒に、ロイドは頼もしげに頷くのだった。
また奈緒の言葉で、他のクラスメイト質にも会話の内容が伝わり、それぞれに振り返りをさせる。
そういう意味では、なんでもズバズバ聞いていける奈緒の勢いというのは強いのだ。
「よし、それでは改めて次に向かうぞ!」
この迷宮の構造として、一階層に複数通路で繋がった今戦った場所のような広場がああり、そのうちのいくつかが下の階層への階段になっている。
そのため、ここ以外でも一層で戦える場所はあると言って、ロイドは真央達を案内した。
次についた場所では別のパーティーが。
更に次の場所では別のパーティーが、と言った形で、全員が一階層のモンスターとの戦闘を経験していく。
もっと早く下の階層に向かうことも出来たが、ひとまず生徒たちの能力を確認したいロイドの方針なのだろう。
そして数度目で、ようやく真央達の順番がやってきた。
「よし、そそれじゃあ最後はお前たちの番だ」