「5分で読書」短編小説コンテストに向けて『SF´(スコシ・フシギ)』という短編を書きました。まだ読まれていない方は、ぜひ御一読を。
「5分で読書」とありますが、おそらく5分では読み終わらないと思います(字数制限は守ってます)。そのかわり、読み手を飽きさせない工夫をした(つもり)なので、ちょっとした空き時間に読んで頂けたら幸いです。
――あとがき
当初は「通学路、振り返ったら、そこにいる(怪談)」を書こうと思っていたのですが、テーマが限定的過ぎて話が全く思い浮かばず、消去法で「想いが通じる5分前(恋愛)」を書くことになりました。元来、私は「恋愛もの」があまり好きではないのですが、最終的に「想いが通じ」れば何でも良い――という自己解釈をした結果、伸び伸びと書くことが出来たので満足しています(少しやり過ぎたかもしれない)。
「果たしてこれは恋愛小説なのか?」と疑問に思われたかもしれません。更に「想いは通じたのか?」と。結局、それは個人の自己解釈に委ねられるのですが、少し僕の個人的見解を述べようと思います。
まず僕は「いわゆる恋愛」に対して疑問を抱いています。男の子や女の子に対して「いわゆる恋心」を抱く――それって本当に恋なのか? それは単に「テンプレ」にハマっている自分に満足してるだけじゃないのか?
そして「想いが通じる」とは何か?――やはりこれがテーマとなります。僕が思うに、それは「信じること」に他ならないと思います。何故なら、誰も他人の心を理解することなんて出来ないからです。それは「想いは通じない」ということではありません。想いは通じているのかもしれないし、通じていないのかもしれない……。いわゆる「シュレーディンガーの猫」ですね。結局のところ、どちらの可能性を選択するのか――それが全てだと思います。つまり「想いが通じる」とは相互的なものではなく、極めて主観的な問題だと僕は思うのです。
信じる心、それさえあればいい――という考え方が物語の根幹にあります。
一部を除き、全体的に「文体が軽い」理由の一つとして、本コンテストの主題が「学校の朝読で読みたい短編小説」だったという点が挙げられます。つまり中高生向けの小説をイメージした感じです。もう一つの理由として――これは物語の根幹に関わってくることなのですが――主人公「秋康太」の人間性が挙げられます。簡潔に言うと「秋康太」は生への執着心が薄いんですよね。更に言うと「秋康太」は他人に関心が持てない。だから軽い。
――少し喋り過ぎですかね。
今回は挫折に終わりましたが、いつか「怪談モノ」にも挑戦できたら……なんて思ったり、思わなかったり。
長々と書いてしまいましたが、この度は僕の作品を読んで頂き、本当にありがとうございました。