村長や王様にアイテムの調達を頼まれる、通りかかった村でいかにも困り果てた人々に出会い、原因を取り除きに行く(大抵、近場のダンジョンとかに対症療法的な解決法がある)
ゲームでも悪し様に言われがちで、個人的には小説として読んでいても大抵苦痛を感じる“お使いイベント”なのですが。
当然、自分が書く事も避けていたのですが、今回認識を改めて敢えて挑戦しています。
今回の“地球死にゲー”(なかなか略称がつけにくかった)では、ラスボスに挑む条件が、五人パーティを組んで、広大なオープンワールドのどこでもいいので、大ボスが有する“変異エーテル”を人数分の5つ集める事。
変異エーテルは、仕留めたボスが有していた強力な特殊能力を所有者に付与します。
言うなれば、リスペクト元のエルデンリングの“大ルーン”みたいなものですが。
さしあたり意識しているのは、今のところ以下の三点。
・イベント達成時の見返り、および大局的な影響を大きく設定する
・一つ一つのエピソードで手を抜かない(それの入手する風景を主目的にしない)
・他のお使いイベントやメインのプロットとの連続性を忘れない
・お使い一つあたりのスパンは短く、かつ、だからと言ってたらい回しにならないように
まだ一つ目の変異エーテルにすらたどり着いていない進捗状況なのですが、これはこれでお使いイベントと言えるのか……。
あるいは「お使いイベントをしっかり書く事に成功した場合、それは“お使い”とは言わないのでは」と、無駄なパラドクスに悩んでおります。
ドラクエ3でも、魔王バラモスの所まで行くのにオーブを集めますが、あれはやはり、オーブ一つ一つを手に入れるエピソードがどれも秀逸だったから“お使い”感が無かったとは思います。
(王が突然暴君となった国、魔王に滅ぼされた町で守り抜かれたオーブ、仲間の商人に託す町づくりのエピソードなど)
「ごく地方の事件を解決する」事が連続して、世界を渡り歩くという大局的に大きなスケールのお話になっており、大抵の事件はバラモスが諸悪の根元になっているので、最終目標へのヘイトもしっかり稼ぎながらオーブ集めをさせています。
創作論用のメモのつもりが結構書き込んでしまいました。
要は短編を真剣に書くのと同じように、どれ一つとして“捨て”エピソードにならないようにしましょう、という事でしょうか。
「村長から謝礼として、不思議な魔石をもらった。これは後々、役に立つだろう」というオチではなく「また一つ、半神の力を宿した大ルーンを手に入れた!」というオチが期待できるほうが、小説としてもゲームとしても、先を読むモチベーションが違う筈です。
あとはやはり、以前も述べましたように、小説とゲームでは「主人公が報酬を得る」事と読者(プレイヤー)との温度差が違うという事です。
うーむ。
やはり“お使いイベント”とは一体……。ウゴゴゴゴ。