常々思うのですが、小説や漫画、アニメ、ドラマなどに度々登場する「やられ役」って、それを生み出す作者さんはどういう心境で扱っているんでしょうねぇ。
彼らも主人公と同じ人間のハズです。人生があり出会いがありドラマがあって、「その時」まで生きてきたはずです。しかし作者の都合として、物語の舞台装置として、何の情けもかけられず矜持も示せず主人公たちの餌食となる。なんかすっごく可哀想と言うか、自分がその立場に立たされたらと思うとなんともやりきれない気持ちになります。
そんな事を思っていたらふと、若い頃に好きだった漫画「北斗の拳」を思い出しました。あれこそまさにやられ役のオンパレードで、次々とケンやレイに殺されていく悪党たちにはなぜか「可哀想」という感情が湧きませんでした。
なんで?と思って改めて見直してみると、その見事な死に様がそれを感じさせ無い事に気付きました。
お馴染みの何ともインパクトのある断末魔と特徴的な絶命シーンが、ある意味彼らの名刺のように、象徴のようにその存在を印象付けてくれます。
もし彼らが何も言えずに消滅させられたり、悲鳴や命乞いを上げている最中に殺されたりしたら気の毒には思うでしょう。
しかし彼らはまるで散り際こそが自分の見せ場だと言わんばかりに「あべし」「ひでぶ」「なにわ」「ぱっぴっぷっぺっぽぉっ」などの名台詞と共に自らを最大アピールして散っていきます。さすがは30周年の新聞の一面を飾った連中だけありますw
https://itainews.com/archives/1774757.html人が死にまくる「北斗の拳」において、誰もがその死に対して嫌悪感を感じずに物語を確立させた作者さんの偉大さを改めて痛感した気がしました。