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妖精の国

 私はわりといい歳まで妖精の国に住んでいた。あるいは今もまだ住んでいるかもしれない。
 ここで言う妖精の国とは、ティンカーベルとかエルフとかそういう美しいやつではなくて、客観的・常識的な尺度で測れない得体の知れない領域を指す。例えば、幼少の頃のおぼろげな記憶のようなもの。木々の間を這っていくうちに木のウロに落ちて巨大なもふもふが眠るお腹の上に乗った、とか、その手の、記憶が主張する限りでは間違いなく経験しているはずなのに後から客観的に追跡しようと思っても決してあの時この場所でと特定できないものを指す。
 十代最後の春とかだったと思う。「とかだったと思う」の時点で、私は西暦何年・平成何年の春にその経験をした、といったように歴史的に指し示すことができないのだから困る。十九だったかもしれないし、二十一だったかもしれない。二十代前半を鬱と混乱の中で過ごしているので、極めてあいまいである。唯一の手掛かりであった日記も捨ててしまったのでもうわからない。
 ともかく、春だったことは確かだ。どういういきさつだったかわからないが、ふっと思い立って、自転車で南に向かいたいという衝動に駆られた。それで、自転車に乗って南に向かった。地図の読み方もいい加減だから、特にルートを決めるわけでもなく、方位磁針だけ自転車のハンドルにぶら下げて、分かれ道のたびに磁石のS極が指すほうに近い道を選んで走った。
 府中のあたりからスタートして、調布から多摩川原橋を矢野口方面へ渡ったのは憶えている。そのあとは、よみうりランドの坂を上ったんだったと思う。
 先日、車でそちらのほうへ行く機会があって、それでようやく思い出したのである。「ああ、そういえば、この辺は自転車で走った記憶があるなあ」と、その時ようやくその自転車旅行のことを思い出したのである。
 子供の身体は成長する。だから、幼少期大きく見えていた小学校の門などを、大人になってから見ると、ずいぶん小さく見えるものだ。こういった事柄も、妖精の国に半分足を踏み入れていると思う。しかるに、今思い出しているのは、二十歳前後に自転車で走った道のことである。そんな程度のことで、妖精の国に足を踏み入れることなどあろうか。
 あの頃背中とリュックサックの間にぐっしょり汗をかきながらひいこら言って登ったよみうりランドの坂は、右足をぐっと踏み込むだけで三分もせずに登り切ってしまった。びゅんびゅん追い抜かれながら肝をつぶしながら下った坂も、簡単に下りきってしまった。
 しかし、そこから先がわからない。今地図を見ても、どこをどう走ったか、ちっとも思い出せない。すり鉢のようにくぼんだ住宅地に捕まって、疲れ切っているのに急な坂道を登らないと出られなくて苦しかったのは憶えている。それがどこだったかがわからない。道がだんだん細くなってついには行き止まりになって、藪の中を自転車を担いで歩いたのは憶えている。それがどこだったかがわからない。気が付くと、新横浜駅という表示があって、そこからしばらく行くとみなとみらいに出て、そこから国道16号沿いに横須賀のほうまで行ったのは憶えている。そのようなラベルがあって初めて、どこを走ったのか今でも特定できる。よみうりランドあたりから新横浜まで、どこをどう走ったのか、皆目見当がつかない。
 自転車旅行に限らず、万事がこの調子でろくに客観的記録を残さずに生きてきているから、過去がどんどん主観的であいまいな記憶の渦に飲み込まれていく。その渦の奥底に、妖精の国がある。幼児は、時間、日付、年月、歴史の観念を持たない。だから或る程度より幼い頃の記憶というのは薄れやすく、仮に思い出せたとしてもうすぼんやりとした映像や瞬間的・断片的な感覚の記憶になる。「あれは私が二歳五か月の頃、母方の祖母と行った熱海旅行で……」などと客観的に記述できる人は、稀であろう。私の記憶の混沌も、その領域に属している。ひょっとすると、今過ごしている日々も、数十年後には妖精の国に入ってしまうかもしれない。

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