自分は“悪”として生まれて、今日までずっと育って来ました←それも自分が“悪”である事も知らず、気付かずにです(ただし“ちょっと偉そうに言わせてもらえば”私は“情けなくて弱い自分”をなんとかして救おうと密かに“神”を目指して頑張って来ました←自分でも自分の在り方や生き方に対する疑問や葛藤があったのです)。
そんな自分が何故曲がり形にも“愛”に付いての自分なりの見解を持つ事が出来たのか、と言えばそれはきっと“愛を知っている誰か”が私を憐れんで教えてくれたからだと思います(それこそ本物の“神さん”や“守護霊さん”がね?)←そうじゃなければ“悪”である私が“愛”に付いての見解を得る事は出来なかったでしょう。
※私は物心付いた時から何故か彼等の存在を信じていましたし、また“愛”や“奇跡”、そして“優しさ”等も“自分なりに”信じて大切にして来ましたけれど、その“御褒美”としての意味合いも、もしかしたならあったのかも知れません←人間は“不滅の霊性”を持っている、そしていつか“霊”は“神”へと“進化”するのです(これを“神上がり”と言います)。
ちなみに皆様方、あなた達は“人間”の持っている能力の内で何が1番凄いのか、解りますか?私が思うにそれは“進化”なのです、余談ですけど皆様方は2次元の存在が3次元を見る時、どうすれば見れるか解りますか?答えは“無理”なのです、3次元から2次元を見る事は簡単に出来ますけど2次元から3次元(要するに上の次元)を見る事は基本的に不可能なのです(ちなみにこれはなにも“2次元から3次元”のみならず、“3次元から4次元”、“4次元から5次元”を見る事も基本的には不可能である、とされているのです)。
さてここで質問です、では“2次元の存在”からは同じ2次元の景色がどう言う風に見えているのか御存知ですか?(ここから先は皆様方にちょっと想像力を働かせて欲しいのですけど)それは例えるなら皆様方がノートを1枚、破いて横から見たとしますよね?そう言う風に見えるんですって(つまりそこにどんな絵が描かれているのかは解らないのだそうです)。
で、そんな2次元がどうやったら3次元に昇格出来るのか、と言いますとその薄っぺらい1枚の紙切れを、縦に“無限乗倍”に重ねると漸く3次元となれるのだとか←なんだか途方も無い話ですよね?
※ちょっと話が横道に逸れますが“上の次元の存在、事象、世界は下の次元の全てを無限乗倍内包している”と言われています。
だけど“それ”が“次元の壁”と言うモノであり、それを突破するのが“進化”と言うモノなのです、皆様方に少し考えていただきたいのですけどもし人間に“進化の能力”が付随していなかったとしたら、例えどんな悲劇や喜劇と出会い、どんなストレスや力を与えられても人間はずっと同じ状態のままずっと同じ世界線を無限に彷徨い続ける事になります(だっていつまで経っても“良い意味で”変化”が出来ないからです←“学ぶ”と言う事が出来ないからです)。
まさに“メビウスの宇宙”をグルグルと永遠に彷徨い続ける事になる訳ですよね?←で、悲劇も喜劇も同じ事をずっとずっと繰り返し続けて行く訳です。
さて“勘の良い方々”はこの辺りでピンと来たと思いますが、要するに“進化する”とは“自分を超える”と言う事であり、それは=で“無限を超える”と言う意味なのです(障害を乗り越えて一回り成長する、とはつまり“そう言う事”なのです)、そして何故人間に“進化の能力”が付随しているのか、と言いますと、それは人間が“善”だからです(ただし中には“本当にどうしようもない輩”が一定数いるのも事実ですけどね?)。
“甘いことを抜かしてんじゃねーよ”とか言われるかも知れませんけれど、人間がもし本当に“悪”ならばどれだけ人を傷付けようが殺そうが全く心が傷まないはずです(嘘を付こうが人を騙そうが特に気に病む事もないでしょう)。
でも(普通の)人間て言うのはそうでは無いハズですし、だからこそ“道徳”の概念やら“慈しみ”、そして“施し”と言う行為を発現させたり、またあるいは会得して来たのではないでしょうか(それらもまた“進化”なのではないでしょうか)。
“相変わらずクソ甘だな”とか言われるかも知れませんけれど、私はそれでも人間の善性を、もう少しだけ信じてみたいと思うのです(まあ“無理が無い範囲で”ね?)。