• 歴史・時代・伝奇
  • 現代ドラマ

懐石料理を食べた

過日、日本料理店に行って懐石料理を食べる機会がありました。

料理自体は彩りも鮮やかで美味しかったです。

しかし、アマチュアとはいえ小説を書く者であるからには、ただ食べたたけじゃなく、創作に活用したいところ。

まず、気になったのは、メニュー表に出てくる日本語。

禾乃登
玄鳥去
しび鮪
焼八寸
強肴

というワードが、意味が分からない。いやそもそも一部の漢字は読みも分からないですわ。

ということで、ググる。

禾乃登は、こくものすなわちみのる、と読むらしい。そういうパターンか。
七十二候のうちの第四十二候で、9月2日から9月6日頃のこと。禾 (のぎ)は穀物の穂先の毛のこと、稲が実り始める頃、という意味らしいです。
七十二候か。二十四節気は聞く機会もあるけど、七十二候は聞いたことがなかった。
季節の変化を、72に分けるって、すごいですわ。日本人の季節への解像度の高さが半端ない。

玄鳥去も七十二候のうちの第四十五候で、つばめさる、らしい。渡り鳥の燕が去る季節。

しび鮪、というのは何か。
しび、というのはマグロの別称らしい。マグロの成魚などの意味もあるとか。キハダマグロのこと、でもあるという。クロマグロのことだという説もある。
なんか、諸説が多くてわかりにくい。
とりあえず、マグロの風雅な別称的なニュアンスで把握していればいいでしょうか。

焼八寸とは懐石料理用語で、八寸、つまり約24センチほどの四角の器に盛られた焼物、という感じらしいです。

強肴は、漢字が読めなかった。しいざかな、というらしいです。これも懐石料理用語。
意味は、強いてもう一品すすめる肴、という感じ。なので、酒の肴に出てくるような料理が出てくるらしい。

まあ、ここに出てきたのは、七十二候とか懐石料理用語とかで、一般的な日本語の語彙ではないのかもしれないですが、それにしたって、知らない日本語はまだまだたくさんあるのだ。

実力の無い人に限って、「自分は日本語を100パーセント使いこなせている」的な無根拠な自信を持っていたりしますけど、多分、5パーセントくらいしか使えていないんじゃないかな、というのが自分の感覚です。

でも一番納得できなかったのが。

食事。

これも懐石料理用語、なのかな。しかし何故またそんな本質的な名称を採用した。
ご飯と味噌汁が出てくるフェイズ。まあ、それは主食だから、食事という呼称でもいいのかもしれない。

んでも、一般名詞としての食事と、懐石料理用語の食事。ややこしいわ。

それでも、貴重な経験をしたわけですから、作中に懐石料理を食べるシーンを出す時には今回のことを思い出しながら参考にして活かしたいところです。

まあそもそも、中国や中央アジアの歴史小説を書こうとしている自分が、懐石料理を食べるシーンなんて、出す予定は全く無いのですが。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する